ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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名前に負ける

●3-4西武(3回戦)

 プロ野球は “名前” がモノを言う世界だ。たとえば晩年の岩瀬仁紀は、能力こそ全盛期から比べれば大きく落ちていても、「岩瀬」という名前だけで相手を萎縮させることができた。よく解説者が「岩瀬は名前で抑えられる」なんて讃えているのを一度ならず耳にしたことがあるはずだ。

 打者なら晩年の阿部慎之助だったり、それこそ我らが福留孝介だったり。本来なら恐れるほどのシーズン成績でないにもかかわらず、レジェンドならではの威圧感でもって出塁を稼ぐ姿をたびたび目にすることがある。一般的には煙たがれることの多い “過去の栄光” も、プロ野球の世界においては相手をビビらせる貴重な武器になり得るのだ。

 もちろん名前だけでなく、経験に裏打ちされた技術が伴ってこその威圧感であることは言うまでもないが。

その名は「呉念庭」

 交流戦ラストマッチとなったデイゲームの西武戦。一度は追いついたドラゴンズだったが、結局は競り負け、悔しい連敗フィニッシュとなってしまった。

 問題のシーンは8回裏だった。既に球数120球に達していた福谷浩司だがこのイニングも続投。2死二塁となって、迎える打者は3番・栗山巧。今季中の2000安打達成も確実視される説明不要のミスター・レオだ。

 とはいえ既に全盛期を過ぎており、今季も打率2割5分など特筆すべき成績を残しているわけではない。数字だけ見れば逃げるような打者ではないし、福谷だって最後の力を振り絞って抑えたかったに違いない。しかしながら、ベンチの取った采配は「申告敬遠」だった。カウント2-0となっての判断だが、いささか警戒し過ぎた感は否めない。

 後続が明らかに格の落ちる下位打線であれば理解もできるのだが、よりによって勝負を選んだのは呉念庭。昨日初めて4番に座っていきなりタイムリーを放った、売り出し中の若獅子をみくびったのが命取りとなった。

 もちろん “名前” の威圧感で比べるなら栗山の方が遥かに上。むしろ呉に関しては、この3連戦が始まるまでは「ウー・ネンティン」という読み方さえ知らなかった方も多いのではないだろうか。最近まで無名同然の存在だったのだから、セ・リーグを中心に追いかけていれば認識していないのも無理はない。

 ただ、今年は持ち前のパンチ力と勝負強さが一気に開花してレギュラー定着。怪我人の多さや山川穂高の不振もあるにせよ、山賊打線の4番を任される打者だ。特にサウスポー相手には3割5分を超える高打率を残しており、左の福敬登を投入したことを含めてベンチの判断ミスと言わざるを得ない。

“名前” を恐れ、負ける

 まさか中日ベンチが呉の打棒を知らなかったわけでもあるまい。だが事実として、ベンチは栗山と呉を天秤にかけて呉を選んだ。

 データだけ見れば明らかな愚策。それでもベンチが栗山を避けたのは、まさしく “名前” に怯んだからだと推測できる。与田監督と伊東ヘッドがそれぞれ別のパ・リーグ球団でユニフォームを着ていた頃、バリバリの主軸としておかわり君、秋山翔吾らと共に西武打線を牽引していたのが背番号1、栗山その人だった。

 年に3試合だけ顔を合わせるセ・リーグ球団とは違い、彼らは栗山の全盛期に散々やられてきた。数字上では当時のような怖さは無いと分かっていても、未だに当時のイメージがこびりついていて、咄嗟に「敬遠」を選択したのだとすれば納得がいく。

 なんでもスタンフォード大学のクリフォード・ナス教授によると、「悪いこと」の情報は「良いこと」の情報に比べてより詳細に脳に伝わり、記憶にも残りやすいそうだ。中日ベンチは手元のデータよりも栗山という “名前” を恐れ、負けたのである。

 同時に新たなトラウマとして刻み込まれた “名前” がある。呉念庭ーー。3連戦が始まるまで知らなかった読み方も、イヤでも脳みそに叩き込まれたはずだ。

(木俣はようやっとる)