ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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神様、もう少しだけ

○4-3ロッテ(3回戦)

 1試合3本塁打。しかも、「2年ぶり」と「5年ぶり」と「今季第1号」。実にドラゴンズらしくない勝ち方だった。ロッテとの3連戦を2勝1分けで終え、交流戦は3カード連続の勝ち越し。バンテリンドームを訪れたファンの方々にとっては、超ド級のサプライズプレゼントとなった。滅多にお目にかかることができない展開に、思わず「2021年の砂田橋」ではなく、強竜打線華やかなりし「1996年の尾頭橋」の間違いではないかと目を疑ったほどだ。

 

一発回答

 京田陽太が一軍登録を外れて以降、ショートとしてチームの潤滑油になっていた三ツ俣大樹が前日の試合で途中交代となってしまった。昨日テレビ中継の解説を務めた立浪和義氏が怪我の可能性を指摘していただけに、本日の動向が注目されたが、理由は分からずともスタメン落ち。

 代わって「2番・ショート」で先発起用されたのは堂上直倫だった。京田と入れ替わりで、今季初めて一軍に昇格して以降、この日が初の先発出場。千載一遇のチャンスが転がり込んできたベテランは、早速首脳陣の期待に応えた。

 初回の第1打席、カウント2-0から左腕・本前郁也が投じた3球目のストレートを振り抜くと、ライナー性の打球はレフトスタンドへ一直線。今シーズン初安打が先制のソロ本塁打となり、ロッテの出鼻をくじく貴重な一打となった。堂上がこの日の試合で放った安打はこの1本。しかしながら、存在をアピールするには十二分のインパクトだった。

 何せ昨シーズンは右肩の故障に泣き、出場したのはわずか43試合。一昨年にキャリアハイ12本放った本塁打はゼロに終わった。今シーズンは春季キャンプから続く二軍生活。試合後のお立ち台に上がった瞬間から、目に浮かべていた光るものが全てを物語っていた。

 

ドーム育ち

 「ナゴヤドームが最も似合う男」

 堂上がダイヤモンドを一周する姿は特別だ。ドラゴンズのファン感謝祭で、福留孝介 “投手” から戦慄の一発を放った中学3年の秋。「アフリカンシンフォニー」のリズムに乗せて、甲子園行きを決定づける弾丸ライナーがレフトスタンドを襲った高校2年の夏。身に着けているユニフォームは違えども、堂上の人生の節目はナゴヤドームとともにあった。

 とはいえ、これらは既に15年以上前の話。あの時の怪童は33歳を迎える年になった。堂上がプロ野球の世界で放った本塁打は、この日の一発で丁度30本。クジを引き当てた西川順之助球団社長(当時)のガッツポーズにドラゴンズファンが熱狂した時の期待度からすると、物足りない感は否めない。それもそのはず、ドラフト会議で交渉権を獲得できなかった巨人が代わりに指名したのが、あの坂本勇人なのだから。

 坂本が幾度となく巨人に歓喜をもたらす一方で、脂が乗り始めるはずの堂上が所属する中日は低迷を続けた。残酷なまでの理想と現実とのギャップに対する、本人の苦しみは想像を絶するものだったことだろう。しかしながら、堂上は内野のユーティリティプレイヤーとして確固たる地位を築き上げた。同時に、背番号63に対するファンの話題の中心が「バット」から「グラブ」に移っていった。

 特に今シーズンは、ルーキー・土田龍空とファームで共に汗を流していたこともあり、高い守備力の継承が期待されていた。筆者もゆくゆくはそれを期待する一人だ。だが、今はそのタイミングではない。

 20年前、サンデードラゴンズの「小松2世を探せ」というコーナーで、兄・剛裕にくっついていた少年はナゴヤドームの歴史とともに立派な大人になり、今ではチームの兄貴分だ。プロ野球で積み重ねてきたキャリアと、多くのチームメイトから尊敬されるその人柄なら、ゆくゆくは首脳陣として球団を支える立場になっていくだろう。

 だからこそ、「プロ野球選手・堂上直倫」が描くアーチにもう少しだけ夢を見ていたい。少なくとも少年時代の思い出が消えないうちは。

(k-yad)

 

※「2年ぶり」-堂上の本塁打は2019年9月27日以来

  「5年ぶり」-井領雅貴の本塁打は2016年9月27日以来