ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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ダイスのように

○4-1日ハム(3回戦)

 先制、中押し、ダメ押しと効率よく得点を重ねた一戦は、ドラゴンズに軍配が上がった。交流戦の序盤2カードを終えて、4勝1敗1分け。何と交流戦の首位に躍り出た。ライデル・マルティネス不在で不安視された救援陣も、又吉克樹がクローザーとしてフル回転。本日の試合では、不調に苦しむ祖父江大輔が3者凡退で日本ハム打線を料理し、復調の気配を見せた。

 5月の月間勝ち越しも決まり、チーム状態は上向き傾向。6月1日からのナゴヤドーム6連戦如何では、初の戴冠も視野に入ってきそうだ。

 

山場

 投打ががっちりと噛み合った試合のハイライトは何といっても5回表の攻撃だ。9番・桂依央利の二塁打から、1番・大島洋平の犠打を挟み2番・三ツ俣大樹のタイムリーと続いた流れはまるで「燃えよドラゴンズ」。板東英二の歌声が今にも聞こえてきそうだった。

 更に3番・福田永将がライトの頭上を襲う二塁打を放ち、前の打席で本塁打を放っていた4番・ダヤン・ビシエドは敬遠気味の四球。まさに押せ押せムードとなった場面のクライマックスは、続く主将・高橋周平の打席に訪れた。

 迎えた高橋の打席。1死満塁の場面で、日本ハムベンチが動いてきた。満塁のピンチを招いてしまった玉井大将に替え、2年目左腕の河野竜生にスイッチ。先発からリリーフに転向し、覚醒の気配を見せるホープに火消しを託した。

 左対左とは言え、プロ野球選手としての格は高橋の方が完全に上。加えて、竜の主将は左投手をあまり苦にしないこともあり、決定的な得点がドラゴンズに刻まれると思われたが、そう簡単に事が運ばないのが勝負事だ。たった2球で0-2。「そんな馬鹿な」と思ったが、河野には百戦錬磨のブレーンがいた。その名は鶴岡慎也。ダルビッシュ有をはじめ、数多の投手の球を受けてきた大ベテランだ。

 

凄み

 コーチも兼任する鶴岡のリードは実に老獪だった。基本的には135キロ前後のカットボールを外角低めに集める組み立て。併殺打狙いは明らかだったが、高橋もそれは承知の上。際どいボールをカットし、好機を伺う。

 手に汗握るマッチアップにおいて先に仕掛けたのは、日本ハムバッテリーだった。目付が外角低めになっていた高橋を、145キロのストレートでインハイを急襲。しかしながら、高橋はこの揺さぶりに屈するような打者ではなかった。6球目を見送り、3-2に持ち込むと、そこから更に4球連続カット。特に9球目と10球目は再びインハイ攻めを受けたものの、ファウルで切り抜けた。

 ドラゴンズ側の視点で考えると、追加点を挙げるにとどまらず、あわよくばビッグイニングにしたい場面。そうすると、犠牲フライでは若干物足りない。出すべき目は、「タイムリー」か「押し出し」のいずれかだ。

 高橋の特筆すべき点は、単に粘るのではなく、先述の2つの結果を誘導できるようなファウルを打っていた点だ。安打を放つためには勝負球の失投を待つ必要があり、確実に四球を選ぶには球審の手が絶対に上がらない球を投げさせなければならない。背番号3は明らかにバッテリーの根負けを狙っていたようだった。「伊達に昨年3割打っているだけある」。リーグを代表する三塁手に向かってつい唸ってしまった。

 だが、この対決を制したのは日本ハムバッテリーだった。河野が11球目のカットボールを外角に投げ切って、1-2-3の併殺打。結果的に相手の術中に嵌まってしまった。この場面で勝負を決めきれなかったからこそ、9回表にボークで得点するまで、重い空気が立ち込めていたのは言うまでもない。

 その一方で、勝敗を超越した「究極の駆け引き」に敗れた高橋から、プロ野球選手としての矜持が滲み出ていたのが心底誇らしかった。凡退後の直後に見せた好守は、彼にできるせめてもの悪あがき。ユニフォームの土を落とす際に、カメラが捉えたCマークはいつもより僅かに光っているように見えた。

(k-yad)