ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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なるか、大名跡の襲名

◯9-6巨人(8回戦)

 「令和」になったのは丁度2年前。その頃は、常に「平成最後の〇〇」や「令和初の〇〇」を耳にする度にうんざりしていたのを思い出す。たった2年なのか、されど2年なのかは分からないが、周りの景色や生活は一変した。

 人々の暮らしが劇的に変化しても、カレンダーの上ではゴールデンウィーク。多くの方が仕事休みになる一方で、プロ野球界は連戦の真っ只中。最大9連戦となるチームもあり、特に投手のやり繰りには頭を悩ませているに違いない。しかしながら、このご時世。ドラゴンズが試合をする東京ドームは無観客での試合を余儀なくされ、3連戦の3戦目となるはずだった5月2日の試合は延期となってしまった。

 9連戦の中日(なかび)から一転、移動日の前日の試合へ。総力戦も十分に考えられる一戦は、プレーボールの時を迎えた。

 

ジェットコースター

 試合開始直前、心配なニュースが飛び込んできた。中継ぎ左腕の福敬登が体調不良でベンチ登録から外れたとのこと。続報如何では長期の欠場に加えて、今後の試合日程にかかわってくる。

 中継ぎを惜しげもなく投入できる日になると考えていたものの、まさかの方針転換。先発・小笠原慎之介には少しでも長いイニングを投げてほしいものの、今季初の中5日とあって、どうしてもリリーフ陣の助けが必要になる。そうなると、やはり打線の奮起は欠かせない。

 試合が動いたのは4回表だった。1死一、二塁から7番・木下拓哉のレフトの前にポトリと落ちる適時打で1点を先制。なおも2死一、二塁となって打席には9番・小笠原。巨人の先発・今村信貴のスライダーを崩されながらも拾い、追加点を奪った。

 ドラゴンズの攻撃が猛威を振るったのはこの回だけではない。続く5回表と6回表にも得点を重ね、6回表終了時点では7-0。5月に強いビシエドに一発が飛び出しただけでなく、ガーバーはライトの頭を超えるタイムリーツーベースを放ち来日初打点を挙げた。

 おまけに福田永将は5回表に四球で出塁し、直後にプロ入り15年目にして初盗塁を記録。まさにやりたい放題。しかしながら、そう簡単に勝たせてくれるほど甘くはなかった。

 6回裏、立ち上がりから球数の多かった小笠原が巨人打線に捕まると、代わってマウンドに上がった藤嶋健人も流れを止められない。更に7回表には、3番手・谷元圭介が絶好調ウィーラーにツーランを浴びて1点差となってしまった。遂に1点差。最悪の事態が頭をよぎっても仕方がない場面で、救世主が現れた。

 

抉(えぐ)り屋

 救世主の名は又吉克樹。入団時から奮闘を続ける右腕にこの呼称は少々失礼かもしれないが、あわや大逆転負けの窮地に追い込まれた状況。藁にもすがる思いで、背番号16を見守ったのは言うまでもない。

 又吉と言えば右打者が嫌がる右のサイドスロー。しかしながら、この日は8番・大城卓三から左打者が3人と対峙しないといけない。巨人打線の波に飲み込まれることを覚悟していたものの、中継ぎ陣のリーダー格となっている右腕はチームの防波堤となった。

 特筆すべきは、大城と1番・梶谷隆幸に投じた内角へのカットボール。ストレートと球速差がほとんどなく、胸元に食い込むボールに両選手ともお手上げだった。

 ドラゴンズでカットボールと言えば、川上憲伸の代名詞。幾多の強打者を撫で斬った伝家の宝刀と比較されてもよいカットボールを、現在又吉は投げている。大きく曲がるのではなく、限りなくフォーシームに偽装し、少しだけ細工する姿は往年のエースと重なる。両者で異なるのは腕の角度とマウンドを降りる姿だけだ。派手な舞いを披露した元祖と異なり、クールな二代目。この日も抑えて当然とばかりの表情で引き上げていった。

 「右打者に強い」と称されたのはもはや過去。今後いかなる強打者とのマッチアップを迎えても怯むことはない。右打者にも左打者にも強いリリーバーのカットボールには、安心と信頼が詰まっている。

(k-yad)