ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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その一本、プライスレス

●1-2巨人(4回戦)

 8回表。東京ドームには「何か」を期待する異様なムードが立ち込めていた。ドラゴンズがここまで放った安打は「0」。先発サンチェスの荒れ球に的を絞れず凡打を繰り返し、ゼロ行進は終盤8回を迎えてもなお続いていた。

 とはいえ2回表にかろうじて1得点を挙げたので、もし無安打のまま試合を終えてもノーヒットノーラン(無安打無得点)にはカウントされない。それでもノーヒットには変わりなく、むしろノーヒットノーランよりもめずらしい「ノーヒットワンラン」が見られるのではと、にわかに各所がざわつき始めていたのだ。

 ドラゴンズからすれば何としても不名誉な記録だけは避けたいところ。しかし先頭の木下拓哉がレフトフライに倒れ、残されたアウトカウントはあと5つ。ここで巨人は無安打ピッチのサンチェスに代えて中川皓太にスイッチ。より確実に目の前の勝利を掴みにきた格好だ。

 打順は9番、大野雄大の代打に送られたのは井領雅貴だった。ただの代打ではない。圧巻の投球を披露しながらも、たった1球に泣いたエースの想いをバットに込めて。そして何よりもチーム初ヒットを懸けて。背番号「26」が重責を担いながら、ゆっくりと打席に立った。

 

井領部長の過酷な労働

 カウント2-2からの5球目だった。内角高めの真っ直ぐを叩いた打球はふらふらと、しかしちょうど野手のいないゾーンを目掛けて落下した。セカンドの増田大輝が脚力を生かしてこれを懸命に追いかける。あわや大ファインプレーかという驚異的な執念も及ばず、増田の差し出したグラブの30センチ先でボールが弾んだ。スコアボードに灯る「H」のランプ。待望のヒットが、ようやく出た。

 

 ーー話は11月下旬にまで遡る。空前の厳冬査定が物議を醸した昨年の契約更改。井領もまた、信じがたい金額でサインした一人だった。提示額は100万円アップの1,200万円(推定)。79試合出場、打率.200(135-27)なら妥当な評価にも思えるかもしれない。

 だが昨季の井領は、開幕から終了まで一度も降格することなくシーズンを一軍で完走した数少ない選手なのだ。そんな選手がこの年俸で、凡退するたびに何万人もの溜息に晒されるのだから難儀な仕事と言うほかない。

 年収1,200万円といえば大手企業や金融系の部長クラスなら一般サラリーマンで貰っていても決してめずらしくない金額だ。少なくとも想像も及ばない金額ではない。いわば一般並みの給料にもかかわらず、井領はとんでもなく過酷な仕事を強いられている。

 想像してみて欲しい。たとえば毎日、その日の仕事っぷりがあらゆるメディアで公開され、さらにはデータマニアと称する部外者に労働の内訳を事細かく分析されるとしたら。

 「井領は最近、新規の営業案件を3日連続で取ってきたようだが、BABIP的には運の要素が強く、ここから数字を下げる可能性が高い」

 「井領の営業トークはパターン化されており、これと同じパターンの営業マンで大成した例は過去20年間を遡っても一人もいない」

 こんな風に他人に労働のすべてを丸裸にされる恐怖。ひと握りの選手にしか許されない一軍帯同を一年以上も続け、シーズンの半分は自宅にも帰れず、一般人にはあり得ない恐怖とストレスに苛まれながら、年俸1,200万円はどう考えたって低すぎる。

 そんな井領部長の今日のミッションは「チーム初ヒットを打て!」。いやいや、ぜんぜん給料に見合ってない。東京ドームの巨人戦に代打2番手で出てくる部長がどこの企業にいるかっての。

 

記録、記憶に残らぬ “単なる一敗”

 それでも井領は輝いた。遠かった「H」のランプをたった一振りで灯してみせたのだ。

 もし「ノーヒットワンラン」を食らっていれば、この先10年、20年と語り継がれる珍記録として散々笑いものにされたことだろう。しかし井領のヒットによって、今日の負けは10年後には誰も覚えていない、 “単なる一敗” になったのだ。この差はあまりにも大きい。

 終わってみればドラゴンズが放ったヒットはこの一本のみ。あまり選手の給料のことばかり触れるのは下世話だが、少なくとも1,200万円以上の価値がある、まさにプライスレスな一本となった。え、他の打者? うーん……映す価値なし!

(木俣はようやっとる)