ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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福留孝介、帰還

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 福留孝介 is back! メジャーに旅立った14年前からずっと望み続けた夢が遂に叶った。

 メジャーで5年、阪神タイガースで8年。縦縞のユニフォームにもすっかり見慣れ、もうドラゴンズとの縁は切れたものだと思っていた。それでも「中日の福留」を諦めきれない自分がいたのは、ドラゴンズ時代の姿がそれだけ強烈だったからに他ならない。

 

賛否両論の古巣復帰

 二度の首位打者、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、MVP……。ありとあらゆる野手の栄誉を総なめにしたばかりか、足も速く、守備もうまく、肩まで強い。それでいて野球脳も抜群。まさに福留は完璧な野球選手だった。

 ドラゴンズに帰ってきて欲しいーー。この13年間、一度たりとも福留への想いが途切れたことはない。だから阪神の幹部候補なんて声が聞こえてくるたび、人知れず一抹の悲しさを感じたものだ。正直、願望はともかく古巣復帰が現実的に難しいことは分かっていた。43歳という年齢的にも来年か再来年に盛大なセレモニーをもって引退し、タイガースのコーチにでも就任するものだと。そう思い込んでいたのは私だけではなく、タイガースファンも、メディアも、あるいは福留本人もそうだったのかも知らない。

 ところがタイガース上層部の考えは違ったようだ。10月下旬に事実上の戦力外通告を受けると一転して状況は変わり、あれよあれよと長年の宿願だった「中日の福留」が実現する運びとなった。あの福留が帰ってくるのだ。ドラゴンズファンなら誰もが飛び跳ねるくらい喜ぶものかと思いきや、意外にもネット上の反応はやや「否」が優勢の賛否両論。某有名コメント欄が猛烈なバッシング一色に染まっているのを見てショックだった。

 てっきり歓迎ムードに包まれるとばかり思っていただけに、この反応は想定外だった。気持ちは分かる。これがもし福留ではなく他の43歳の選手なら、私も疑義を唱えていただろう。つまり戦力云々よりも個人的な思い入れで舞い上がっているに過ぎない。全盛期の福留を見ていないファンからすれば、戻って来ようが来なかろうが知ったこっちゃないのは当然のことだ。13年という歳月は、鮮やかな思い出すらもセピア色に色褪せてしまうほど、あまりにも長すぎたのかもしれない。

 

4代目ミスタードラゴンズ

 正午すぎ。複数メディアから入団会見の様子が伝わってきた。赤と青の球団旗をバックにした福留の姿は紛れもない「中日の福留」に違いなかった。思わず涙腺が緩む。若いファンは『FNS歌謡祭』なんかで90年代のアーティストを見る感覚なのだろうか。だとすれば、口角泡を飛ばして福留の凄さを伝えようとする私などは「昔の歌はよかったんだよ!」とゾンビのように語る、ウザくて痛い懐古オヤジか。

 会見を終えた福留は球団の取り計らいで、星野監督と若かりし日の福留を写したパネルの横で、写真と同じようにスイングをするパフォーマンスも披露した。これもまた入団当初の福留を知るオールドファン向けのパフォーマンスだが、案の定涙腺が緩んだのは言うまでもない。

 年俸は今年の1億円3千万円から大幅減となる推定3千万円。それでも福留は「ユニホームを着させていただくことが出来て感謝の一言」と謙虚に語った。かつて太々しい態度で毎年のように“銭闘”を繰り返した面影はもう無い。福留もすっかり大人になり、角が取れたのだ。

 その後のラジオ出演でも「戻るんじゃなくてユニホームを着るチャンスをもらった」など控えめな言葉を並べる中で、起用法に話が及ぶと「やる以上は負けたくないという思いは常に持ってやりたい」「プレーヤーである以上、最初から最後までグラウンドの中で立っていたい」とレギュラー獲りの意欲をギラつかせた。これだ、この溢れ出る自信こそが福留という男の本性だ。福留はこうでなくちゃ。

 個人的には福留こそが「4代目ミスタードラゴンズ」を襲名するにふさわしいと思っているのだが、果たしてそれだけの活躍を見せることができるかどうか。早くも2021年シーズンが楽しみでならない。