ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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「野球の神様、ありがとう」

●4-5ヤクルト(24回戦)

 吉見一起の引退試合。まずはこの祝祭を穏やかな気持ちで迎えられることに感謝したい。

 もし昨日負けていれば、今日も「負けられない戦い」は続いており、そうなれば吉見の登板自体がどうなっていたか分からない。たとえ行われたとしても感慨にふけるような余裕があったかどうか。今日のためにも、本当に昨日勝てて良かった。

 

 定刻通りの18時ちょうど、背番号「19」が最後のマウンドに上がった。通算223登板。先発としては196度目の登板だ。ほとんどの投手が立ち上がりは難しいと口を揃えるが、吉見に関してはあまり初回に手痛い失点を食らった記憶がない。精密機械と称される制球力同様、メンタルを御す能力にも長けていたのだろう。

 初球。左腕を目一杯に伸ばす、あの独特のフォームから繰り出されたボールが木下拓哉のキャッチャーミットに吸い込まれた。アウトローに決まってストライク。全盛期にも見劣りしない寸分違わぬ制球に惚れ惚れする。2球目は外角からゾーンへ曲がるスライダーでカウント0-2。3球目は139キロのストレートがやや低めに外れた。

 いや、敢えて外したようにも見えた。吉見の力を持ってすればストライクゾーンに投げることなど容易のはずだ。しかし、次のストライクが入った瞬間、プロ野球選手・吉見一起の戦いは終わりを迎える。一秒、いや一球でも長くこの空間にいたい。一流投手の本能が、無意識に手元を狂わせたのではないだろうか。

 それでも幕引きは必ず訪れるものだ。カウント1-2からの4球目、糸を引くようなストレート、アウトロー一杯。吉見という投手を象徴するような美しい一球だった。山崎晃太朗のバットに空を切らせ、15年間のプロ野球人生が終わった。

 

当日通達の登板でプロ初完封

 吉見のキャリアの始まりは2006年9月10日の広島戦。優勝に向けてチームが突っ走る中、大量リードに守られてのリリーフでの登板だった。その8日後の横浜戦でプロ初先発初勝利。しかしエースの道を走り出すにはもう少し時間を要した。

 具体的に日付を指定するなら入団3年目の2008年4月6日。ヤクルト戦の先発に抜擢された吉見は、この日を境にして一気に投手として跳ねた。ドラフト1位で入団し、1年目からささやかながら優勝にも貢献するなど早くも大器の片鱗を見せたが、2年目は調子が上がらず5登板(4先発)に留まり、一つも勝つことができなかった。勝負の3年目。出番は突然やってきた。

 「今日はホント分からなかった。一応、頭に置いておけと言われていた」。いわゆるローテの谷間。フェイクでそれらしい動きを見せていた山本昌が有力視されたが、選ばれたのは吉見だった。落合政権では落合監督と森コーチ、それに本人以外は誰も先発を知らされていなかったと言うが、さすがに当日通達は異例だ。

 急遽上がった先発マウンド。ここで吉見は期待以上の結果を残した。全盛期の青木宣親、リグス、ガイエルといった強打者が揃う燕打線から凡打の山を築き、プロ最長タイの6回を無失点で乗り切った。二軍では通算二度の完投経験があったが、一軍では未知の領域である7回も三者凡退で凌いだ。球数も100球を越え、「気にしちゃいけないんですけど欲も出た」と本人が振り返ったように、疲れも感じ始めていた。

 ここで森コーチから檄が飛んだ。「あと6個頑張れ!」。この一言で、先のことを考えずに一個ずつアウトを取ることを思い出したという。9回表、最後の打者・宮本慎也をサードゴロに仕留めた。138球、三塁も踏ませない完封で、2年ぶりの白星をあげた。

 「ホント、気持ちいいの一言です」。初めてのヒーローインタビューで吉見は照れ臭そうに笑みを浮かべた。ちなみに試合後、落合監督は「(9回を)投げ切っちゃえば(その後の体が)どうなるものなのかわかる。これから経験が生きてくる。これで一皮むけるのかな」と吉見のその後の活躍を“予言”するようなコメントを残している。

 

「野球の神様、ありがとう」

 翌朝の『中日スポーツ』一面は吉見の初完封を祝う内容に染まる中、かつて中日のエースとして活躍した小松辰雄氏は「大切なのは好投は続けてこそ意味があるということ。だから、この完封で先発ローテーション確定とは、あえて言わない。次回の登板が有力な広島市民球場は、屋外で狭い。そこで好投したら、その時に晴れて先発合格としたい」と厳しいエールを送った。

 一週間後、吉見はその広島で11安打を浴びながらも2試合連続の完封を飾ると、さらに連勝は8まで伸びた。最終的に10勝(3敗)をあげるなど、“先発合格”どころではない好成績を収めた。

 しかし、まさかここから5年連続二桁勝利の快挙を成し遂げるとは、さすがの小松氏も想像できなかっただろう。キャリアハイは2011年の18勝。中日の黄金期を支えたエースとして、その名は未来永劫語り継がれていく。そんなレジェンドが今日、ユニフォームを脱いだ。

 「野球の神様、ありがとう」

 試合後の引退セレモニーで、最後に吉見は声を張り上げてこう結んだ。ならばファンはこう伝えたい。「吉見、お疲れ様。そしてありがとう」と。

 

【参考資料】

『中日スポーツ』2008年4月7日付1,2面