ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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傷だらけの決闘

●1-9阪神(23回戦)

 野球を見始めて以来、中日が甲子園球場をここまで苦にしたシーズンは記憶にない。今日の負けで1勝10敗。なんでも甲子園でシーズン10敗を喫するのは64年ぶりの球団ワーストタイ記録なのだと。つまり、多くのファンにとって生涯最悪の惨敗を経験したことになる。

 ナゴヤドームでは勝てるので、阪神そのものにアレルギーがあるわけではないようだが、なぜかここに来ると決まって打線は沈黙し、投手は打ち込まれ、守備は崩壊してしまう。昨日も、そして今日も、まるで魔法が解けてしまったかのように、中日は “弱いチームの野球” を繰り返した。

 ひと昔前(ふた昔前か?)なら阪神ファンの一糸乱れぬ大声援に選手が萎縮してしまうこともあったが、今季は多くて1万人前後の観客で、大声も出せないのだからそれは関係ない。いったい何が中日の選手たちを狂わせているのか。皆目検討がつかず、只々打ちひしがれるしかないのが悔しい。

 単に負けるだけならともかく、甲子園の魔物とやらは「ビシエドの負傷」という残酷すぎる現実を叩きつけてきた。もし抹消なら今季中の復帰は極めて難しいだろう。

 アルモンテ、ライデルに続いてビシエドまで……。残りわずか9試合にして、目の覚めるような快進撃を続けてきた中日を襲った、最大にして最悪のピンチ。ここを乗り越えることができるのか。それとも再びBクラスの沼へと沈んでしまうのか。依然として圧倒的に有利な状況には変わりはないが、もはや数字では占うことができないほど、風雲急を告げる事態となってしまった。

 

「バカやろー」、そして「ありがとう」

 最初に左肩を痛めたのは6回表のことだった。エドワーズの投じた抜け球が直撃し、苦悶の表情を見せながらも、ビシエドはベンチ裏に下がらずそのまま塁へと進んだ。頼もしい姿に胸を撫で下ろしたものだが、今にして思えばこの時点で大事を取るべきだった。

 まだ2点ビハインドの局面で、4番の責任感から痛みを押して出場を続けたのだろうか。しかしその勇敢さが裏目に出た。8回表、敗色濃厚のムードが漂う中、近本光司が放った一、二塁間を襲う打球に懸命に飛びつき、着地の際に左肩を強打。さすがのビシエドも痛みに顔を歪めながら、トレーナーに付き添われてベンチ裏へと消えて行った。

 チームの勝利のために体を張ったがゆえの負傷。いったい誰がこのファイト溢れる助っ人ーーいや、もはや生え抜きの日本人と同等の扱いをすべきだろうーーを責めることができるというのか。今季は激しい死球禍に苦しみながらも、ここぞに強いバッティングで打点王を狙える位置に着けている。3年契約の2年目。ビジネスライクに考えれば決して無理をしなくても良いはずのシーズンだが、ビシエドの辞書に「手を抜く」という言葉はなかった。

 7月には菅野智之から受けた死球の影響で1試合欠場したものの、翌日からは4番で復帰。今季スタメンを外れたのは、疲労回復のためにと与田監督の判断で欠場した10月1日の試合と合わせて2試合のみ。それ以外の109試合では全て4番を張っている。こんなにも献身的な外国人選手を私は見たことがない。

 今日だってそうだ。既に4点ビハインドとなり、近本の打球が抜けようが抜けまいが、もはや大勢に影響のない場面。それでもビシエドはフォア・ザ・チームに徹し、必死で打球を食い止めようとしてしまった。「バカやろー」と言いたい。

 だが、それ以上に言わなくちゃいけないのは、どう考えたって「ありがとう」だ。ここまで本当によく頑張ってくれた。ハマスタでの決勝3ラン。阪神戦の逆転3ラン……、間違いなくビシエドこそが快進撃の立役者だった。

 試合後、ビシエドは病院に向かったそうだ。とにかく無事を祈るばかりだが、例え軽症でも明日から即スタメンはあり得ないだろう。つまり今季初めて、中日はビシエドなき戦いを余儀なくされるのだ。下を向いている暇はない。残ったメンバーで凌ぐしかない。誰が、ではなく全員でAクラスを守り切るのだ。

 いざ、傷だらけの決闘へ。遂に物語はクライマックスに突入した。