ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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トラウマを掘り返す

●1-7巨人(22回戦)

 高木守道さんの追悼試合と銘打っておこなわれた今日の試合。背番号「1」着用、遥拝所の設置、黙祷、特別映像の上映、ご子息の登板、守道さんが好物だったホットドッグの販売数量増、『燃えドラ』特別バージョンへの差し替え……。

 これだけ大規模なイベントを公式戦で開催した記憶はない。いかに守道さんがドラゴンズにとって重要な人物であったのか、しみじみ実感した。

 ただ、一つだけ釈然としない事がある。おそらく同じ想いの方も少なくないだろう。ナゴヤドームが誇る大型映像装置「106ビジョン」に映し出された、ある試合のスタメンの再現。よりによって、これから巨人との対戦に臨むというのに、その巨人の優勝記念日である“10.8”でなくても……。

 縁起の悪さもさることながら、高木守道という野球選手への哀悼の意を表するには、このチョイスは疑問符がつく。たしかに当時の主力打者アロンゾ・パウエルが打席に入り、守道さんのご子息が投げたボールを中村武志が捕るというパフォーマンスは一見の価値があったが、あくまで負け試合である。

 この“10.8”が守道さんの関わった全ての試合のなかで最も有名であることは間違いない。何しろ当日のテレビ視聴率はプロ野球史上最高の48.8%(関東地区・平均)を記録するなど、文字どおり日本中の注目を集めた一戦だ。

 だが、いくら有名であろうと中日にとってこの試合はとりわけトラウマ的な屈辱の1ページに他ならない。今だから笑って話せるという類のものでもなく、むしろ未だに引きずっているほどの一生モノの傷である。

 守道さん本人も、後年この試合についてメディアに問われた際には必ずと言ってよいほど「勝負運のなさ」「監督としての実力のなさ」といった自虐的なニュアンスで語っている。

 たしかに監督・高木守道を象徴する試合ではあるが、せっかくこうしたイベントで再現するなら、むしろ高木が不世出の名二塁手として鳴らした現役時代の栄光をフィーチャーすべきではなかったか。

 1974年の10月11日、9回土壇場で優勝の夢をつなぐ同点打を放ったヤクルト戦や、同年6月28日の阪神で放った逆転サヨナラ3ランーー。21年間を現役で過ごした守道さんの功績は他にもたくさんある。

 なにかと監督時代の印象で語られがちだが、守道さんを「ミスタードラゴンズ」たらしめたのは現役時代の輝きだったはずだ。二度歴任した監督は、どちらも望んで就任したわけではなく、退任時もキレイな幕引きとはならなかった。

 せっかく再現するなら、守道さんが選手として経験したただ一度の優勝であり、巨人のV10を阻止する形で成し遂げた1974年から選んで欲しかったなあ、と思わずにはいられないのである。

 

あの日と同じ、先発5失点KO

 うるさいファンだと我ながら思う。イベントごとに水を差すようなクレームを付けるとは、なんたる狭量だろうと自覚もしている。

 要は、試合に勝ちゃ良かったのだ。勝ってさえいれば、「守道さんの想いを胸に、現役選手たちが“10.8”の呪縛を解いた!」とか何とか言えたのだが、よりによって惨敗とは……。恨言のひとつも言いたくなって当然であろう。

 中日は初回から攻撃のちぐはぐさが目立った。特に1点を先制された後の4回裏、阿部寿樹の盗塁死は痛かった。無死一塁から併殺崩れで出塁したと思いきや、併殺打と同じ結果に終わる“ちぐはぐ”。その直後に4点を取られたことを思えば、なんとかランナーを残して好調の木下拓哉に回したかったところだ。

 一方のヤリエル・ロドリゲスは途中、6者連続三振を奪うなど出来自体は悪くはなかった。5回の滅多打ちも若林晃弘の打球は不運と割り切れる内容。むしろその前、畠世周の安打が悔やまれる。

 

 先発投手の5失点KOは、奇しくも“10.8”の今中慎二に被る。2番手投手が東邦高OBというのも同じだ。うーむ……やっぱり再現する試合を間違えたのではないだろうか。これじゃトラウマを掘り返したようなものだ。