ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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「嫌われた監督」と石垣問題

●4-8阪神(13回戦)

 『週刊文春』で連載中の「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」というノンフィクションがとにかく面白い。筆者はフリーライターの鈴木忠平氏。落合政権当時、日刊スポーツの記者として目撃した落合ドラゴンズの裏側で起きていたドラマを抜群の筆力で書き下ろした、いま一番読むべき文学作品と言っても過言ではない。

 先週号から始まった「森野将彦篇」では、森野がサードのレギュラーを獲るまでの葛藤、苦悩がさまざまな視点で描かれている。サードの選手がレギュラーを獲るとは、すなわち立浪和義からポジションを奪うことに他ならない。18歳でレギュラーに定着し、以後20年近くにわたってその座を守り続けてきた神様のような存在を相手に勝負を挑まなければならない森野の苦しみは、想像を絶するほど過酷なものだった。

 当時、傍から見ていても立浪の守備範囲が狭くなっていることは明らかだった。インターネットのどこかのサイトで「真冬にコタツから“よっこらっしょ”と出るときのような緩慢さ」と揶揄されていたのを思い出す。いわば世代交代は必然だったが、当事者となればそう簡単に割り切れるものではない。

 2006年7月1日、立浪は遂にスタメンを外れた。代わりにサードのポジションに着いたのは、もちろん森野だ。いつも冷静な立浪が試合前にベンチ裏で声を荒げて怒り狂った様子が、今週号では鮮明に描写されている。

 この時のことに関しては立浪自身も自著『負けん気』(2009,文芸社)の中で触れており、立浪は「次の日、先発から外された。何の説明もなかった。言葉が足りないと、人は反発する。私の中には言葉にならないモヤモヤしたものが残った。」と落合監督への不満とも取れる感情を明らかにしている。

 この箇所は当時ファンの間で話題となり、「立浪と落合は仲が悪い」「確執だ」と散々囃し立てられた。ただ、今回の連載を読んでそれがいかに浅はかな想像であったかを痛感させられた。勝負の世界に生きる人間は、文字どおり命がけで戦っているのだ。そこに渦巻くさまざまな思惑や覚悟は、仲が良いとか悪いとかそんな単純な価値観で語れるものではない。

 ファンの立場なら簡単に「誰々を外せ」「誰々を使え」と言えるが、実際の現場はもっとシビアで繊細なのだ。使われる選手がいるということは、外される選手がいるということだ。平田良介だったり、阿部寿樹だったり……。

 それぞれが必死に勝ち取ってきたものを、活きのいい若手が出てきたからと言って「はい、どうぞ」と奪い渡すのはファンが想像しているよりもずっと難しいことのようだ。散々「石垣雅海を使え」と言っていたくせに今更なんだと思われるだろうが、「嫌われた監督」を読んで、レギュラーというものが私なんぞが想像していた以上の重責であることを思い知ったのである。

 

遅かれ早かれ、その時は来る

 とは言え、結果が全ての世界である。いつまでも同じ選手を使って負けているのではバッシングも強くなる一方だし、現実的になんらかの変化を施さなければならない日は必ず来る。頑なに動かない分、一旦ラインを越えれば一気に若手登用に舵を切る可能性は十分考えられる。

 ところで、せっかく上がってきたのに、ただ無意味にベンチに座らせていたのでは宝の持ち腐れではないか、という声も見かけるが、果たしてそうだろうか。たしかに二軍の方が実戦経験を積めるのは間違いないが、いま石垣はーかつての立浪と森野の関係性ほどではないにせよーもがき苦しむ先輩たちの姿を毎日目の当たりにしていることだろう。レギュラーを剥奪されるのではという恐怖と戦う先輩たちの姿は、決して二軍で見られる光景ではない。それはある意味、何物にも変えがたい経験として石垣の中に蓄積されているはずだ。

 よく「レギュラーは与えられるものではなく、つかみ取るもの」なんて言うが、今の段階では石垣はまだチャンスを「与えられる」立場だ。阿部の調子が悪いから石垣を使う。平田の状態が上がらないから石垣を使う。そうではなく、練習に取り組む姿勢だとか、レギュラーを奪い取る覚悟だとか。そうした当事者達にしか見えない部分を加味したうえで、与田監督をはじめとする首脳陣は起用のタイミングを見定めているのではないだろうか。

 遅かれ早かれ、その時は来る。今日は「嫌われた監督」に感化されたこともあり、敢えて首脳陣の意図を斟酌してみた。