ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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悔しさとやるせなさと、たしかな希望と。

●0-2巨人(16回戦)

 大野雄大と菅野智之。現代セ・リーグ最高峰のエース対決として試合前から注目を集めたこの一戦。その期待を裏切らぬ鬼気迫るような投げ合いは、もはや贔屓(ひいき)の応援を超越して「プロ野球」という娯楽そのものの醍醐味が凝縮されていたと言っても過言ではない。

 だが、いくら内容を美化したところで結果を見れば中日は負けたのだ。難攻不落の菅野に対して中日が放った安打はわずか5本。それも2本は大野が打ったものだ。初回、幸先よくチャンスを作るも凡退。さらに先頭の大野が執念で出塁しても、犠打失敗で送れずじまい。別に大島洋平だけに責任を押し付けたいわけでは無い。誰が打席に立っていても、おそらく結果は同じだっただろう。

 菅野はすごい。確かにすごかった。でも大野も負けていなかった。互角に渡り歩いていた。しかしチームは負けた。そして大野に黒星が付いた。2点の差を生んだのは、打線の差だ。ここしかないという場面でタイムリーが打てる坂本勇人。ここしかないという場面で犠牲フライが打てる亀井義行。さすがは入れ替わりが激しい巨人にあって10年以上第一線で活躍し続ける打者だ。

 かたや中日打線は、菅野の前になす術もなく凡退を繰り返すばかり。唯一気を吐いたのが9番大野では溜息すらも出ない。信じられないことに、今シーズンは菅野の前にまだ1点も取れていないという。過去二度の対戦はいずれも完封負け。そして三度目の今回も7回零封で、合わせて25イニング連続無得点。これでは勝てるわけがない。

 菅野といえども試合前の防御率は1.57。平均して2点弱は取られるわけだが、中日はどうしてもそれが取れない。そして今日もまた、次回への糸口すら掴めぬまま一方的に抑え込まれた。菅野の凄さ以上に、中日打線の不甲斐なさが浮き彫りになったことが、本当に悔しくてたまらない。大野が負けたんじゃない、菅野に負けたのだ。

 

今まででいちばん悔しい負け

 

 考えてみれば、一つの試合の負けでこんなに悔しくなるのはいつ以来だろうか。この8年間、目を覆いたくなるような悲惨な負け方は数え切れないくらい経験してきた。そのたびに眠れなくなるほどの怒りを感じ、「こんなチームはもう知らん」とサジを投げたくなったことは何度もあった。ただ、それと今回の悔しさとはまったく異質なものだ。

 そもそも試合前から「エース対決」と言って痺れるような緊張感を味わうこと自体がずいぶん久々のように思う。そりゃそうだ、このチームには長い間、菅野と張り合うようなエースなんて存在しなかったのだから。

 昔、強かった時代はこんな試合が年に何度もあった。斎藤雅樹に、上原浩治に、内海哲也に対し、今中慎二が、川上憲伸が、吉見一起が挑んでいく。しかも首位攻防の負けられない一戦ときた。たまらない緊張感のなかで、選手もファンも鍛えられていったものだ。

 ところが7年連続Bクラスの間、そんな試合は皆無だった。情けなさならいつも感じてきたが、ここまでの悔しさを味わうのは久々のことだ。なぜ大野を勝たせてあげられなかったのか。なぜあと一本が打てなかったのか。菅野に負けるのはこれで通算16回目だが、間違いなく今までいちばん悔しい負けだ。

 

今日の悔しさは、きっと中日を強くする

 

 ただ、この試合を経験したことはチームにとって今後、かけがえのない財産になっていくはずだ。自軍のエースが文句なしの投球を見せたにもかかわらず、負けた。これでヘラヘラしていたらこのチームに未来はないと思うが、負けが決まった直後の選手たちの表情には、はっきりと「悔しさ」「やるせなさ」が刻み込まれていた(と私は感じた)。

 こういう痺れる試合をくぐり抜けた先に、Aクラスであったり優勝というのは待っているのだろう。高橋周平や京田陽太、それにベンチにいた郡司裕也や藤嶋健人はこの雰囲気を、この悔しさを絶対に忘れないでいて欲しい。

 そして遠征先の由宇で、おそらくこの試合をチェックしていたであろう根尾昂や岡林勇希、石川昂弥といった明日を担う若竜たちも、他人事ではなく自分たちが背負うべき宿命としてこの負けの悔しさを五感に、五体に叩き込んでおいて欲しい。

 今日の悔しさをチーム全員で共有できれば、きっと中日は強くなる。死ぬほど悔しい負けだからこそ、たしかな希望を見出した一戦でもあった。