ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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不思議の勝ち

○3-1ヤクルト(14回戦)

 故・野村克也さんの名言を拝借するなら、今日の勝利はまさしく“不思議の勝ち”だ。いま試合が終わって1時間ほど経ってからこのエントリーを書き始めたが、こうして勝利を伝える内容が書けることが不思議でならない。

 4時間25分にも及ぶ熱闘を振り返ってみても、やっぱり「運が良かったなあ」としか思えない。そもそも15安打を打たれながら1失点で凌いだのも妙な話で、この手の試合にありがちな併殺は一つもなし。一体どこで15本も打たれたのか、そしてなぜ抑えることができたのか。

 5回裏の無死2塁(しかも先頭の吉田大喜の二塁打!)といい、普通に考えれば試合が動きそうな場面で動かない。最後までその繰り返しだったように思う。

 なんとなくラッキーに恵まれたとはいえ、ドラゴンズにも余裕があったわけではない。何しろ石山球審の手が上がらなかった。「入ってるだろ!」というボールが何球あったことか。登板した投手の球数が軒並み多いのもこのシビアな判定によるところが大きいと思うのだが、それでも四球は両軍合わせて2個だけ。これもまた奇妙である。

 こんな試合は最後まで予測できないことが起きるものだ。極め付きは10回表。2死一、三塁として武田健吾の当たりは右中間を襲った。だが全力疾走のセンターがなんとか追いつき、グラブに打球を収め、清水昇も手を叩いて喜びかけたーー次の瞬間だった。なんと山崎晃太朗のグラブからボールがこぼれ落ちたのだ。

 慌てふためく山崎と、凍りつくヤクルトナインを横目に2者が生還。大きな勝ち越し点がドラゴンズに入った。外野手の落球は年に一度あるかどうかという珍しいエラーだ。もうあと数十センチずれていれば勝利の可能性が消えていたわけだから、まさに紙一重のところで助かったのである。

 それにしても、よりによってそれがこの場面で出るとは。ラッキーに感謝すると共に、野球の怖さを肝に命じた場面だった。

 

紙一重がことごとく有利に働いた

 

 そもそも試合は9回裏に終わるはずだった。本気で「きっと大丈夫だ!」と信じていた中日ファンがいるとすれば、その人はどんなときでもポジティブでいられる強いメンタルの持ち主だ。私にはとてもじゃないが真似できない。誇りにしてもいいと思う。

 1死満塁、打席には村上宗隆。リスク承知の上で内野前進守備を敷かざるを得ない厳しい状況だ。ライデル・マルティネスは連投の疲れもさることながら、1人目のランナーが出たときから執拗に牽制を挟むなど明らかに冷静さを欠いていた。対照的に、今か今かと来たるべき瞬間のために駆け出す準備を始めるヤクルトベンチの選手たちの表情は一様に明るい。

 誰もがサヨナラを信じて疑わない。そこに至るまでの過程も、坂口智隆が2ストライクからポテンヒットでつなぎ、上田剛史がスリーバントを成功させるという、中日サイドからすれば真綿で首を絞められるようなものだった。

 山田哲人を申告敬遠して、村上、青木宣親との勝負を選んだバッテリー。いや、選んだのではない。そうするしかなかったのだ。

 ただ、ライデルからすれば、ランナーを無視してもいい状況になって開き直れたのだろう。昨日は史上26度目の1イニング4奪三振を記録するなど、ライデルといえば分かっていても当たらないストレートこそが最大の武器だ。連投の影響か、やや球速は控えめだったが、それでも打者を捻じ伏せるには十分な威力を持つ。まずは村上を空振り三振に、続く青木はかろうじてバットには当てたものの力ないゴロでスリーアウト。誰もが負けを覚悟した絶体絶命のピンチをみごとに切り抜けた。

 でも、もう一度同じ場面が回ってきたら今度はやられそうな気もする。というか、今日じゃなければやられていたと思う。とにかくこの試合は紙一重がことごとくドラゴンズに有利に働いた。普通なら9回裏はサヨナラだし、10回表のあれはセンターに捕られて万事休すだ。

 ところがどちらもそうはならなかった。運が良かったのか何なのか。つくづく不思議な勝ちである。