ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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“流れ”をめぐる攻防

○4-2ヤクルト(13回戦)

 野球を見ていると頻繁に“流れ”という言葉が飛び交う。「このプレーは流れを変えますよ」「流れを掴む投球ですね」ってな具合に。ただ、正確にいえば“流れ”という事象は科学的にも統計的にも証明されていないそうだ。つまり一種のオカルトとみなされているわけで、セイバーメトリクス至上主義者の前で「流れがさあ〜」なんて言った日には白い目で見られ、鼻で笑われ、一蹴されかねないだろう。

 ただ、誰がなんと言おうと私は“流れ”は存在すると思っている。もちろん根拠はない。そういうのを“オカルト”と呼ぶならそうなのかも知れない。「考えるな、感じろ」の世界だ。だが長年野球を見続けている方なら共感してもらえるはずだ。そして大半の解説者が“流れ”という言葉を使いたがるのは、実際にプレーしていて体感したことがあるからに他ならない。

 近年でいえば、昨シーズンのロッテ戦。悪夢の「6x」なんかは、ほとんど“流れ”にやられたようなモノだった。たしかに鈴木大地には打たれる気しかしなかったよね。そう、それこそが“流れ”。対戦成績といった過去のデータでは測れない、その場、その空間に生まれる独特の空気感。たとえば観客の歓声だったり、チームメイト、あるいは相手の表情だったり。そうした球場全体のあらゆる要素が複合的に混ざり合って、“流れ”は生じるのではないだろうか。

 ゲームではなく生身の人間がやる競技である以上、心理面の揺らぎは必ずパフォーマンスに影響するはずだ。一般企業のオフィスでもそうだ。同じ仕事をやるにせよ、パワハラ上司がいると余計な緊張を感じてしまい、簡単な作業でもミスするリスクは格段に増す。心当たりのある方も少なくないはずだ。

 前置きが長くなったが、今日のテーマは“流れ”だ。いったいドラゴンズの勝利可能性はどの時点で下がり、どの時点で上がったのか。“流れ”が目まぐるしく行き来した終盤の攻防を振り返ってみたい。

 

“流れ”を取り戻した堂上のビッグプレー

 

 6回表、地面スレスレをすくい上げた高橋周平の打球が神宮球場のライトスタンド最前列へと吸い込まれていった。技ありの4号ホームランは、試合を決定づける一発となった。この時点で8割方は勝ったようなものだと考えていたが、甘かった。問題のプレーが飛び出したのは続く7回表のことだ。

 2死一塁で打席には福田永将。高梨裕稔の127球目を逆方向に打ち損じた当たりはフラフラと漂いながらライン際へと落下してきた。これをライトの坂口智隆がスライディングでキャッチする好プレーを見せ、スタンドからは万雷の拍手が送られた。

 仮にナゴヤドームであれば大した意味を持たないプレーかも知れないが、ここは乱打戦の聖地・神宮である。一つのプレーが“流れ”を変え、とんでもない展開に進んでいくのをドラゴンズも幾度となく経験してきた。大抵がやられる側の立場で。

 しかも所詮は2点リード。冷静に考えると、押せば倒れる程度の頼りない点差だ。ドラゴンズは追加点のチャンスを逸し、先方はダメ押しを阻止した。青木宣親あたりが先頭に立って、さあここから逆転だと盛り上がるスワローズベンチの様子が容易に想像できる。

 すると直後の7回裏。代わった祖父江大輔から、エスコバーが火の出るようなライナーを一、二塁間に放った。ああ、やっぱりタダじゃ終わらないんだーーそう頭を抱えかけた次の瞬間、やや後方に守っていたセカンドの堂上直倫が「ここしかない」というタイミングで跳び込み、かろうじて打球をグラブの先端に収めたのである。もしこれが抜けていれば、その後の展開は大きく変わっていたことだろう。まさに勝敗を分けたビッグプレーだった。

 坂口がスライディングでつかんだ“流れ”を、堂上がダイビングで取り返す。こういうのを見ると、“流れ”がいかに重要かが分かる。科学的に証明されようがされまいが、あると言ったらあるのだ。