ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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大野、神髄に達す?

○3-0DeNA(12回戦)

 なんでもドラゴンズにおける連続完投勝利は「5」が記録で、石川克彦、権藤博、佐藤充の3人が打ち立てたという。

 1950年代前半に杉下茂とWエースを形成するなど活躍した石川、1961年に429.1イニングを投げた権藤のことは知識としては知っていても、実際に見たわけではないので正直言ってピンと来ない。だが3人目、2006年の佐藤はリーグ優勝にも大きく貢献したのではっきりと覚えている。

 なにせ大学生だった私は、佐藤が5試合連続完投を挙げた神宮球場でのヤクルト戦をレフトスタンドで観戦していたのだ。いったい誰と観に行ったのかは思い出せないが、試合前にブルペンで肩慣らしをする佐藤のボールを間近で見て勝利を確信したことを、14年ぶりにぼんやりと思い出した。

 やや抽象的になるが、投げる球、投げる球が「シュイィィィン」と音を立てながら空間を疾走しているような……。そんな漫画チックな勢いを、あの時の佐藤のボールからは感じたのだ。

 完投記録の最中の佐藤は、一時的ではあれ当時エースだった川上憲伸をも上回るボールを投げていたと思う。その魔法は程なくしてすっかり解けてしまうのだが、プロ通算11勝の投手とは思えぬほど当時を知るファンが嬉々として佐藤を語りたがるのは、わずか3ヶ月間の印象があまりに鮮烈すぎたからに他ならない。

 やはり何試合も完投勝ちを続けるような投手は、ある種の神がかり的な調子の良さに恵まれるものなのだろう。大野雄大も、まさに今そんな感覚を味わっているのだろうか。

 

榎本喜八が見た“神の域”

 

 打たれる気がしなかった。点を取られる気配などこれっぽっちも無かった。4試合連続完投勝利を懸けてマウンドに上がった大野は、今シーズン最高の投球でDeNA打線を文字通り封じ込めた。9回のうち実に6イニングで走者を許したのだから“完璧”とは言えないまでも、ピンチをピンチとも感じさせないほど敵を、そしてマウンドを支配した112球だった。

 最後の打者・桑原将志を空振り三振に打ち取ってゲームセットを迎えた瞬間、大野はゆっくりとキャッチャーの元に歩み寄りながら左手の握り拳で小さくガッツポーズを作った。以前なら両手を挙げて大喜びしていたのだが、前回巨人戦での完投から喜び方が控えめになっているのは、それだけ勝つことが常態化してきた証だろう。

 京田陽太が思わず最敬礼したほどの圧倒的なエース感。抑えて当たり前、勝って当たり前。だから殊更おおげさに喜ぶほどのことではない。もし大野がその境地に達したのだとしたら、いよいよエースを超える存在、スーパーエースに進化しつつあるのかもしれない。

 いわゆる“神の域”に至った例としては、かつて大毎オリオンズで活躍した榎本喜八の逸話が球界ではよく知られている。『打撃の神髄ー榎本喜八伝』(松井浩、講談社)によれば榎本はプロ9年目の1963年7月7日から約2週間、「臍下丹田に自分のバッティングフォームが映るようになった」(本人談)という人智を超えた領域に到達したのだという。

 気付いたときには終わっていて、二度とその時の感覚を取り戻すことはできなかったそうだが(榎本はその感覚を追い求めるあまり引退まで苦労することになる)、先述の佐藤などは何かの拍子にそうした領域に足を踏み入れてしまったのだとすれば、あのわずかな期間の神がかり的な活躍も、その後の落差も説明がつく。

 少しオカルトチックではあるが、アスリートが時としてそうした感覚に没入する例は他の競技でも見られるようだ。最近だと「ゾーン」と呼んだりもするが。

 それでは急激に状態が良くなった大野も、間もなく通常モードに戻ってしまうのかと心配になるが、おそらくそれは大丈夫だ。なぜなら大野は榎本喜八のような球道者タイプでもなければ、佐藤のようにポッと出てきた無名の投手でもない。元々エースとして実績を積んだ陽キャが、本来の能力をようやく覚醒させることができた。つまり「ゾーン」に入っているのではなく、これが真の大野の実力というわけだ。

 入団から早9年。一時はもうダメかと思ったが、やっとここまで来てくれた。遂に目醒めたスーパーエース大野雄大は、来年からもずっとドラゴンズを支えてくれるのか。それとも強敵として立ちはだかるのか。活躍するほどそっちの心配をしてしまうのは、気が早すぎるだろうか。