ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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隠れたナイスプレー

○4-1巨人(12回戦)

 2006年佐藤充以来の3試合連続完投勝利、球団史上初の3試合連続二桁奪三振、’08年山本昌以来の2試合連続巨人戦完投、と大野雄大の記録づくめの快投で首位巨人相手に2週連続のカード勝ち越しに成功。

 借金も約1ヶ月ぶりに「5」に減らし、我がドラゴンズはお盆休みの最終日を最高の形で締めくくった。開幕以降、一貫して低調だったチーム状態もここにきてやっと本来の実力を発揮しつつあると言えそうだ。

 立役者はなんといっても大野を置いて他にはいない。7月31日に7度目の登板にしてようやく初勝利。それがまさか上述の記録ラッシュの始まりになろうとは誰が想像しただろうか。3年ぶりの開幕マウンドでは4回9安打6失点と炎上。さらに翌週の広島戦でも6回11安打4失点と打ち込まれ、他のローテ投手が早々と白星を挙げる中で大野だけが置いてけぼりを食う格好となった。

 ヒットを打たれるのは“運”の要素を含むとしても、気になるのは開幕2試合10イニングで奪三振が5個しか取れていないことだった。昨シーズンの大野は奪三振率7.90を記録。これは規定投球回に達した投手のなかでは山口俊(巨人=9.95)、今永昇太(DeNA=9.85)に次ぐリーグ3位の数字である。

 150キロ前後のキレ味鋭いツーシームとスライダーのコンビネーションで安定して三振を奪うタイプの大野が、いとも簡単にボールを弾き返される。「たまたま」ではなく、何かがおかしいのは数字の上でも明らかだった。

 一時は二軍降格かという噂も流れたほどだったが、与田監督は頑なに「エース」として大野をローテ通りに起用。投げるたびに防御率も良化し、今日の1失点完投で遂に2点台もうかがえる3.03まで改善した。心配された奪三振も、今永を抜いて独走態勢に突入。

 試合後、与田監督があらためて「うちのエース」と称賛したサウスポーの完全復活、あるいはそれ以上の進化と共に、ドラゴンズが奇跡の大逆襲に挑む。

 

記録に残らないナイスプレー

 

 強力打線を相手に2安打1失点に封じ込んだ大野の117球。文句のつけようがない投球にも、「おや?」と思うところはあった。許した2本のヒットではなく、6回裏、坂本勇人にこの日唯一の四球を与えた場面だ。

 難なく2死を奪って迎えたこの対戦。中盤になっても余力十分の大野は強気にストライクゾーンを攻めてあっさりカウント0-2と追い込んだ。ところが、だ。4球目から急にストレートが入らなくなり、たちまちフルカウントとしてしまう。勝負の7球目をファウルにされ、結局8球粘られた末に四球という、まるで昨日の宮國椋丞vs.高橋周平をそのままなぞったような状況だ。

 簡単に追い込みながら、結局歩かせたときの投手の動揺については昨日書いたとおり。続く石川慎吾が繋げばクリーンアップに回り、たちまち巨人の気勢が上がるのは目に見えている。にわかにイヤな雰囲気が漂い始めた、その時だったーー。マウンドの大野に、京田陽太が声をかけに行ったのだ。

 一言、二言。何を言ったのかは当事者同士にしか分からない。だが、流れでズルズル行きそうなこのタイミングで投手を孤独にしなかった京田の気遣いはこの上なく確かなものだった。

 果たして石川をサードゴロに打ち取り、チャンス拡大を阻止。記録にも残らず、夜のニュース映像でも間違いなくカットされる些細なひとコマではあるが、この京田の声かけこそが大野の快投を呼び込んだとも言っても過言ではない“隠れたナイスプレー”だった。

 

風向きを変えた京田の入団

 

 打っては勝ち越しの2点タイムリー二塁打、守っては代名詞となりつつある深い位置での捕球で大野をアシストした京田の働きぶりたるや。加えて声かけでの鼓舞と、「大野さんに最後まで投げてもらうために打ちました」という殊勝なコメントはいかにも選手会長らしくて頼りになるではないか。

 1試合に一度は飛び出すファインプレーは、もはや珍しいものではない。故・高木守道さんの表現を拝借するなら「普通」に超人的な守備ができてしまうのが京田の凄みだ。アライバの全盛期に、井端弘和を超えるショートは今後ドラゴンズに現れないのではとも言われていたが、10年足らずで登場したこの新しい職人選手は、井端とも憧れ慕う鳥谷敬とも異なる「京田型」と言うべきショート守備でチームを救い続けている。

 目下7年連続Bクラスと低迷にあえぐドラゴンズだが、数年前からやや風向きが変わったという声を方々で聞くことがある。そのキッカケとなったのは、監督の交代でもドラフト会議でのくじ当選でもなく、京田という心身ともに高い意識を持った選手が入団したことだと、私は声高に主張したい。