ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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1番福田は破天荒

△4-4広島(9回戦)

 固定観念にとらわれるほど不毛なことは無い。だが世の中は、驚くほどたくさんの“常識”という名の固定観念で溢れかえっている。ありとあらゆる物事に一定の“常識”を基にしたルールが設定されていて、そこから少しでも外れたら異端児、無法者として石を投げられるのだ。くだらない。

 果たして長年にわたって“常識”とされていることは、本当に“正しい”ことなのだろうか? 私はそうは思わない。むしろ固定観念にとらわれることで失うチャンスの方が多いとさえ思う。

 たとえば目下のコロナ禍でテレワークが推奨され、今まで当たり前だと思っていた満員電車、会議、飲み会といった“常識”の数々が別に無くたって困らないことに多くの人達が気付いてしまった。こうやって“常識“を疑えば視野が広がり、今まで見えてこなかった世界が開けるわけだ。いつまでも過去の慣習にこだわっているのはナンセンスだといえよう。

 ……と、安っぽいHOWTO本のような書き出しで始めてみたが、言っとくけど私はこの手の本が大嫌いだ。あんなものを読む暇があったら昔の野球選手の自著伝を読んだ方がよっぽどためになることが書いてあると思う。ただ宇野勝が書いた『ヘディング男のハチャメチャ人生』は本当にくだらなかった。

 硬派で無頼という従来の常識だった野球自著伝のイメージを打ち破る画期的なネタ本としては楽しめるので、興味のある方は是非ぜひ入手してみて欲しい。

 

福田の適正はむしろ1番ではないのか

 

 固定観念を捨てるという意味では、今日のオーダーは色んな意味で攻めていた。なんたって、「1番福田永将」である。いくら昨夜が零封負けとは言え、その発想はなかった。何かの間違いかと疑ったほどだ。『燃えよドラゴンズ』の歌い出しが「1番福田が塁に出て♪」だったら誰もがずっこけるだろう。

 しかしよくよく考えてみれば、無くはない手段にも思えてきた。どうせオーソドックスな打順を組んでも点が入らないなら、いっそ一発のある打者を1番に置いてもいいじゃないか。現にドラゴンズの歴史のなかでも特に打線が活発だった1984年と’96年のシーズンは、それぞれ田尾安志、ダネル・コールズという攻撃的な打者が1番固定で出場していたのだ(ちなみに’84年は37ホーマーの宇野も4試合だけ1番で出場)。

 ゲッツーが多く、あれこれ考えてしまいがちな福田にはそもそも中軸は合っていたなかったのかも知れない。となれば、来たボールを気楽に打てる1番は意外と福田にとってベストな打順なのではないだろうか。相手投手としても立ち上がりにいきなり一発のある打者が出てきたら気持ち悪いだろうし。

 ほら、ちょっと固定観念を取っ払っただけで一気に視野が広がった。自由な発想ってホント大事。たしかに過去をみても本多逸郎に始まり、中利夫、高木守道、立浪和義、井端弘和、荒木雅博と、いかにもなタイプの選手が1番を張ることが多かったが、それはあくまでその時代のベストを考慮したうえでの結果であり、何もルールブックに「1番は俊足巧打タイプ」なんて記載されているわけではないのだから。

 

あるか、プロ初バント

 

 さて。プレイボールと共に迎えた1番福田の第1打席は痛烈な当たりを放ちながらもサード堂林翔太の好守に阻まれ惜しくも抜けず。しかしプレッシャーがかからないためかいつもよりスイングに鋭さを感じたのは気のせいだろうか。

 いや、気のせいではなかった。3回表の第2打席、2死二塁の得点機ではいかにも1番らしいセンター返し。これが先制タイムリーとなり、早くも1番効果がてきめんに表れた。2点を追う7回表の第4打席は無死一、二塁という福田が最も苦手とするシチュエーションで回ってきたが、ここでも普段の福田ならあり得ないような冷静さでボール球を見極め、追い込まれながらも四球を選んだのだ。

 結局ヒットは3回の1本だけだったが、トータルの内容でいえば今季最高とも言えるほど充実していたように思える。ただ9回無死1塁の場面、それこそバントしかないという場面でそのまま打たせたのは驚いた。

 それもそのはず、福田の通算犠打数はプロ14年目にして未だゼロ。「クリーンアップへのつなぎ役」という従来の1番打者のイメージに縛られない福田起用は、やはり良くも悪くも破天荒だ。

 果たして1番福田が今日だけのカンフル剤だったのか、明日からも続けるのかは分からないが、もし後者ならいずれは必要に迫られるであろうバントをやるのかどうか。ここに注目していきたいと思う。