ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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迷走あるある

●3-8阪神(5回戦)

 「あ、このバンド迷走してるな」ってときの特徴はだいたい決まっている。

 セールスが落ち始めた途端にメンバーの1人が脱退したり、なんか新曲に変な振付がついたり、重厚なバンドサウンドにこだわっていたはずが急に四つ打つのダンスミュージックを始めたり。

 ここら辺の「あるある」がでてくると、リスナーは危険なものを察知する。やがてライブの集客も見る見るうちに目減りし、お決まりの“音楽性の違いによる云々”が飛び出すわけである。こんな風にして消えていったバンドやグループを何組見てきたことか。

 バンドに限らず、たとえば部数が伸び悩む雑誌が題字のフォントをいじってみたり、閑古鳥の鳴くショッピングモールにマイナーな100均やあまり美味しくないインドカレー屋ができたり(そしてユニクロと無印が撤退する)。

 何かが迷走するときは、割と分かりやすく兆候が出るものである。それはプロ野球の采配とて例外ではなく。動くべきところで動かず、動かなくても良いところで動き……。自分で自分の首を絞めるような采配が目立ち始めたとき、ファンはイヤでも首脳陣の“迷走”を感じ取ってしまうものだ。

 

今季2度目、繰り返した失敗

 

 西勇輝と勝野昌慶の投げ合い。厳しい戦いが予想されるこのマッチアップでドラゴンズが勝ちを収めるとしたら、先取点を得てリリーフ総動員で逃げ切るパターンが最善手だったはずだ。

 ところが先発マスクを被ったのは加藤匠馬。これにより打線は実質7人で西攻略に挑むことになり、勝野は何がなんでも先制を許してはならない状況となった。しかし3回裏に勝野は2点を献上。早くも劣勢に立たされると、反撃に転じた5回表には“迷走”としか言いようのない采配でみすみすチャンスを潰すことになる。

 1死一、三塁で打席には問題の加藤である。当然代打が出るものだと思ったのだが、ベンチは打率1割3分の加藤に懸けた。そして凡退した。ああ、なるほど、復調気配の勝野にこの後も頑張ってもらうために、女房役を敢えて残したのだな。

 今後ローテ投手として期待したい勝野のためにチャンスを犠牲にしたのであれば、ある意味でそれは中長期的な観点に立った意図的な采配と読み取れる。

 勝手にそう解釈して納得したのも束の間。2死となり、打席に向かったのは勝野ではなく遠藤一星だった。はっきり言って唖然とした。だってこのチャンスを生かしたいなら、どう考えても加藤に代打を出すところではないか。それこそアリエルか木下拓哉がいるのだから、ここで使わないなら何のためのキャッチャー3人制なのか。

 結局勝野に代わって登板した佐藤優が炎上し、7回表には先頭加藤の代打でアリエルが登場。そこで代えるなら、なぜ先ほどのチャンスでそのままだったのか。中長期どころか一手先の展開さえ読めているのかと疑問に思うような采配に関しては先日も指摘した通りだが、ますます迷走は深刻化していると言わざるを得ない。

 

 加藤に代打を出さずに最大のチャンスを逸するのは今シーズン、既に2度目だ。前回は6月24日のDeNA戦。当ブログでも『加藤起用のなぜ?』という記事で、めずらしく采配批判をおこなった。

 あの時点では加藤と木下の2択だったが、今はアリエルが加わり状況が大きく変わった。にもかかわらず、またしても加藤への固執が裏目に出た。しかも加藤と心中するというわけでもなく、結局その後のイニングで代打を出したところまであの試合と瓜二つだ。

 方向性を見失ったバンドや、廃刊間近の雑誌とは違い、野球チームは勝利により息を吹き返すことが可能だ。だが、采配が迷走している今のままでは厳しい。貪欲に目の前の勝利を掴みにいくのか、それとも育成最優先に舵を切るのか。そもそも誰を正捕手に据えたいのか。

 今こそ首脳陣どうしの意志統一、そして腰を据えた起用が求められる。