ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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多幸感そのもの

〇3×-2広島(4回戦)

 「多幸感」という言葉が頻繁に使われ始めたのは2010年代の初頭だろうか。主に音楽系のレビューでよく登場するこの言葉、要するに“みんなハッピー”な状態を表すのだが、元々は薬物などのトリップがもたらす過度の幸福感を指す言葉だそうだ。

 なにもわざわざジャクソンの逮捕について語りたいわけではない。今季初めて観客を入れておこなわれた今夜のプロ野球。鳴り物もなければ野次もない。“静寂と拍手”という新しい応援様式の中で繰り広げられる試合はどこか新鮮であり、正直これもアリだなと思った。同時に、ドンチャン騒ぎは無くとも観客がいるのといないのとではここまで違うのだとも。

 無観客の、“静寂と選手の掛け声”という組み合わせもなかなか粋なものだったが、やはりプロ野球はファンの“熱”が伴ってこそだ。ひとつひとつのプレーに対し、満面の笑みで嬉しがり、頭を抱えて悔しがる。実に多彩なファンの表情が映るたび、ようやくこの日を迎えられたことの喜びが心底こみ上げてきた。

 記念すべき有観客試合の初日。プラチナ・チケットを入手できた幸運な4,958人の観客(広島ファンは除く)を待っていたのは、今季最高潮とも言うべき素晴らしいフィニッシュだった。ビシエドのバットから鋭い弾道のライナーが飛んだ瞬間、喜びあまって一斉に立ち上がる観客たち。ホームに戻ってきたヒーローを称えるチームメイト達と、水かけの儀式。歓喜と興奮が入り混じるナゴヤドームを包み込んだのは、紛うことなき多幸感そのものだった。

 

エース復権

 

 2018年8月23日以来、「打ってサヨナラ」が出ていない--。そんな悲しいデータを紹介したわずか2日後の劇的勝利である。10回裏1死。もう決めるならホームランしかないという場面で飛び出した4番の一振りは、打った瞬間にそれと分かる角度で“有人の”レフトスタンドに突き刺さった。リーグ単独トップ、第7号サヨナラ弾。まるで観客が入るこの日のために取っておいたかのような見事な幕切れだ。

 まさしく4番の仕事。しかし、この結末を呼び込んだエースの好投も忘れてはなるまい。開幕から2試合連続でノックアウトを食らった背番号22は、背水の覚悟で臨んだ先週の巨人戦で復活の兆しをみせた。あの投球がまぐれだったのか、それとも本当に復活したのか。相手はちょうど2週間前、3被弾と打ち込まれた広島。大瀬良大地とのマッチアップ、そしてチームが連敗中という状況まであの時と同じ。ある意味では大野雄大の真価を試すにはこれ以上ないシチュエーションだ。

 この試合における大野のミッションは主にふたつ。チームを勝利に導くことは当然として、できるだけ長いイニングを投げることが今日の大野には求められた。とにかく心身ともに疲弊したヤクルト戦。結局1個も勝てなかったうえに、勝ちパターンを含めてリリーフ陣を酷使したばかり。明日の先発が今季初登板の勝野昌慶であることからも、大野までもが5回やそこらで降板したのではたまらない。最低でも7イニング。調子が良かろうが悪かろうが、今日の大野はそこが絶対的なノルマだった。

 マウンドに上がった大野がもう開幕当初とは別人であることは、初回の投球を見ればすぐに分かった。スピードは抑えつつも、丁寧にコーナーをつくピッチング。つい2週間前、どこに投げても打ち返されたツーシームが今日は唸りを上げて木下拓哉のミットに吸い込まれる。終わってみれば4安打2失点。球数の兼ね合いだろうか、イニングこそノルマの7回で後続にバトンを譲ったが、その投げザマはエース復活を感じさせるには十分なものだったと思う。

 試合後のコメントもいい。「どんなピッチングをしても相手にリードを与えたままマウンドを降りるという結果ではダメだと思います」(中日・大野雄 今季初勝利ならず…7回2失点も援護なく― スポニチ Sponichi Annex 野球)。

 よしよし、エースがエースらしくなってきた。大野が復調し、4番が好調。長年の懸案事項だった正捕手問題も「どっちも打つから困った」というまさかの展開で終焉を迎えつつある。あれ、中日強いじゃん。観客の声なき応援を背に、遂に「優勝候補」ドラゴンズが動き出した。