ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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黒船アリエル来航

●3-7巨人(2回戦)

 試合の大勢がほぼ決まった6回のことだった。昨日に続いて代打で登場したアリエル・マルティネス (以下アリエル)が一度もバットを振らずに四球を選び、一塁ベースに到達してもベンチは代走を送る気配がない。この瞬間、NPBでは2000年のディンゴ以来となる公式戦での外国人捕手誕生が決定的となった。こうなるともう、試合の結果云々よりもアリエルの一挙手一投足に興味が向く。

 その裏、防具を付けたアリエルが190センチの大きな身体を曲げて守備位置に入った。21世紀になってからは初となる歴史的瞬間だ。なにしろ支配下登録されたのがつい3日前のこと。育成時代の背番号である「210」番のマークが入ったプロテクターを付け、いよいよドラゴンズ、ひいてはプロ野球の新しい時代が幕を開けた。

 すると、見せ場はすぐにやって来た。四球で出塁した吉川尚輝が盗塁を試みると、すぐさまアリエルが豪快に上体を起こし、矢のような送球でこれを刺したのだ。G+の実況アナが「マルティネスの肩つよぉい!」と右肩上がりで声を張りあげる。’03年開幕戦、アレックス・オチョアの衝撃デビューを彷彿とさせる強肩披露に、もう試合の行方なんかどうでも良くなったのは私だけではないだろう。

 今、自分はとんでもなくスゴイものを目撃しているーー。『マッドマックス フューリー・ロード』を初めて映画館で観たときのような高揚感が身体中に走る。そこからゲームセットまで、もう私の目には勇ましいアリエルの姿しか映らなかった。

 

真剣に検討された“捕手・ディンゴ ”

 

 外国人捕手というと極めて異質にも思えるが、歴史を紐解けばそもそもドラゴンズの前身球団・名古屋軍のデビュー戦である1936年4月29日、甲子園球場での大東京戦でマスクを被ったのはアメリカ出身のバッキー・ハリスだったわけだから、ある意味では外国人捕手はこの球団のルーツとも言えるわけだ。

 他球団では広島のギャレット(’77-’79年)、ロッテのディアズ(’89-’92年)が公式戦で捕手として出場したことがあるが、未だに正捕手として活躍した選手はプロ野球黎明期のハリス以来80年以上出てきていない。アリエルが今後、木下拓哉らライバルを押しのけてプロ野球史で2人目となる外国人正捕手になれるのかどうか。ドラゴンズファンのみならず、全野球ファンが注目すべき案件だといえよう。

 

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▲「中日スポーツ」2000年3月19日1面

 

 冒頭でも書いたとおり、外国人の捕手出場そのものがディンゴ以来20年ぶりの快挙。今や一種のネタとして語られがちなこの選手だが、当時は真剣に中村武志をサポートする第二捕手として検討されていたことは記しておく。

 3月18日のオープン戦ではスタメンマスクを被り、山本昌とバッテリーを組んだことが翌日の中日スポーツで詳細に報じられている。

 評論家の鈴木孝政氏は「山本昌が、投球動作に入って投げ終えるまで、突き出したミットが微動だにしない。これだけで、さすがと感心させられた」「ミットを動かさないことは、簡単なことではない。米国で、よほど訓練したのだろうな、と努力家ぶりが伝わってきた」とベタ褒め。星野監督も「違和感がなかった? 当たり前だよ。本職だからな」とニンマリすれば、バッテリーを組んだ山本昌も「内角にも体を寄せてくれるので投げやすかった。僕はシーズン中でもOKですよ」と激賞の嵐である。

 ちなみにこの試合でディンゴは来日初となる一塁も守ったが、こちらでは打球をはじき失策を記録。しかし星野監督いわく「アレはマサがいっとかないかん」と、状況的にあまり過失の無さそうな山本昌にとばっちりが行くおまけ付きだった。

 結局公式戦でマスクを被ったのは1試合のみ(7月19日ヤクルト戦)。それも大差のビハインドが付いた場面でのファンサービス的な起用だったので、今日のアリエルの出場がプロ野球の歴史上どれだけ貴重かつ重要なものであったのか、自ずと理解できるはずだ。

 明日以降の起用にも引き続き注目していきたい。