ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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悲哀! 暗黒時代を背負って立った男

●0-3DeNA(1回戦)

 時は2006年。落合ドラゴンズの強さがまさにピークに達したその年に、平田良介はプロの門を叩いた。大阪桐蔭高校では1年秋から4番を張り、高校通算70本塁打を記録。最後の夏の甲子園では清原和博に並ぶ1試合3本塁打を放つなど、輝かしい実績を引っ提げて入団した平田に、ドラゴンズは一桁背番号「8」を授けた。
 ドラフト前のスカウト会議では落合博満監督みずからがビデオをじっくり見たうえで指名へのGOサインを出したという。その落合をして「オレを超える選手になる」とまで言わしめた平田の一軍デビュー戦は、チームが優勝争いを繰り広げる真っ只中の8月下旬に訪れた。通常、ルーキーのお試し昇格は消化試合におこなわれるものだが、それだけ平田に対する期待の大きさの表れでもあった。

 入団2年目に早くも頭角を現した平田は、その年の日本シリーズ第5戦、日本一に王手がかかった大一番でスタメン出場を果たし、難攻不落のダルビッシュ有からチーム唯一の得点となる犠牲フライを放った。これが決勝点となってドラゴンズは53年ぶりの日本一に輝き、山井大介と岩瀬仁紀によるパーフェクト・リレーは球史に残る伝説となったわけだ。

 当時「ドングリーズ」と揶揄された、ひと皮剥けきれない控え選手達をあっという間に抜き去り、平田は順調すぎるほど順調にレギュラーへの階段を駆け上っていった(’10年は不振に陥ったが)。’11年には球団史上初の2日連続サヨナラ本塁打を放つなど、目立つ場面での派手な活躍も平田の魅力だった。

 この年チームは連覇を果たし、平田も自身初の二桁本塁打(11本)を打った。次代のドラゴンズは、平田が背負って立つことになるに違いない。誰もがそう期待したし、実際にそれは間違いではなかった。しかし一つだけ誤算だったのは、同じ背負うでも「暗黒時代を背負って立つ選手」になってしまったことだった。

 

平田を見限ることなどできない

 

 ’13年から始まった7年連続Bクラス。そのうち平田の出場数が100試合を切ったのは’17、’19年の2年のみ。20代後半を迎え、選手として脂の乗り切った平田の役割は、もっぱら弱いチームの中軸を打つことに終始した。

 少し時間を巻き戻す。ドラゴンズが大阪桐蔭高・平田の指名を決断した翌日、中日スポーツは1面でそのことを伝えた。「落合ぞっこん」の見出しと共に、中田宗男スカウト部長の「福留のような選手になれる」というコメントが掲載された。ちょうど福留が毎年のように高レベルな成績を残し、強いドラゴンズを牽引していた時期だ。平田がルーキーイヤーを迎えた’06年には3割5分1厘のハイアベレージを残し、MVPにも輝いた。

 球団史でも最強打者の呼び声高い福留のような選手になれたかどうかは別として、平田は野手が育たないと言われるドラゴンズにおいてとりあえず1億円プレーヤーになった。安定感抜群の守備を含めて、育成が成功だったか失敗だったかといえば間違いなく成功の部類に入るだろう。それでも平田は先代の右翼手・福留のように、己の力でチームを優勝に導いた経験がない。だから、その総合力の高さに比して過小評価されているきらいがあるように思う。

 だが、あまりの弱さに客足も遠のき、なにかとバカにされることが多かった暗黒時代。そんな中でもFA権を行使せずにドラゴンズに残って身を削ってくれた大島洋平、そして平田は文句なしの功労者だ。その間、平田は毎年のように下半身を中心に故障を負った。弱いチームをなんとか救い出そうと懸命にプレーした結果に他ならない。

 そんな平田たちの頑張りの甲斐もあってドラゴンズは今、ようやく長かった暗黒時代から抜け出そうとしている。だが開幕から2番を任されている平田は深刻な不振に陥り、今日も1死二、三塁という先制の大チャンスで凡退に倒れた。厳しい言葉を投げかける者もいる。言われたって仕方ない、だってプロだもん。

 選手としていちばん良かった時期にチームが底に沈み、ようやく上がってきたタイミングで選手として下降線に入る。まるで苦労が評価されない中間管理職みたいな悲哀を背負いながら、結局今日もそのバットから快音は聞かれなかった。

 

 だけど私はどうしても平田を見限ることができない。生まれ変わりつつあるチームのなかで、もしかしたら平田はもう“取って変わられる側”の立場なのかもしれない。しかし苦しかった時代を背負ってくれた恩を忘れ、罵声を浴びせることなどどうしてできようか。

 たしかに年俸が上がった途端にロールスロイスを買ったかと思えば、わざわざ露橋の住宅街(というかナゴヤ球場)にあんな目立つ車で乗り付けて後輩に見せびらかしたりと、そういう俗っぽさ、子供っぽさに呆れることはある。でも今どきめずらしい昭和の野球選手チックな成金趣味。正直嫌いじゃない。

 だからというわけではないが、平田が苦しんでいる姿を見るのは本当につらい。平田はこんなもんじゃないと信じたい気持ちと、だけどもうこんなもんかもなと諦める気持ちが交差する今日このごろ。

 ただ、6回裏にランナーを三塁で刺した矢のような送球。あれには痺れた。そして思った。「平田はまだ死んじゃいない」と。そりゃそうだ。あの悪夢のような暗黒時代を戦った男が、こんなところでくたばってたまるかよ。