ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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韋駄天高松、自立の3年目

 「やっぱ一番大切なのは自信よ、自信」。なんてことをドヤ顔で言ったらデータ至上主義勢から「はい昭和!」「はい老害!」とフルボッコにされるのは目に見えている。それでも誰に何と言われようと、私は自信こそが物事をこなす上で一番大切な要素だと信じて疑わない。

 ただ、自己啓発本なんかでよく見かける「根拠のない自信を持て」というのはダメだ。たとえば営業職のような、見てくれと話術がモノを言う職種であれば“自信あるっぽいオーラ”を身につけているだけでそれなりに効果があるのかもしれないが、野球のように成績が数字で明確に表れ、なおかつ対戦相手が本気で立ち向かってくるスポーツにおいては根拠のない自信など簡単にへし折られてしまう。

 今までどれだけ多くのアマチュア達が根拠のない自信をまとってプロの門を叩いたことか。そしてキャンプ初日、先輩たちの練習風景を目の当たりにした彼らは決まってこう思うのだ。「とんでもない世界に来てしまった……」と。

 だからプロ野球の世界で成功したいなら、根拠に「基づいた」自信でなくてはいけない。そのために日々練習し、技術を磨く。そしてある程度の成果が出始めたら実戦で練習の成果を試し、何度かの挫折を味わいながらも徐々に結果が出始める。ここで初めて本当の意味での自信が身につくのだと思う。

 まさに今、高松渡はそれを掴みかけている一人ではないだろうか。

 

師匠・荒木コーチが一軍に異動

 

 久々に行われた紅白戦。その舞台で3年目の高松が躍動した。2番スタメンで出場した高松は初回、大野雄大から三塁線を破る二塁打を記録。前日28日に一軍に合流したばかりの若竜がいきなり開幕投手の大本命から長打をマークしたとあって大きなインパクトを残した。

 3年前、中田宗男スカウト部長が「どうしても必要だった。他球団に絶対取られたくなかった」と熱望して獲得した金の卵も、入団当初は一塁到達タイム3秒56という超俊足が話題になる程度。ルーキーイヤーは腰痛などに苦しみ、9月下旬にようやくウエスタンに3試合出場するのが精一杯だった。野球以前の問題として、精神面の未熟さも心配された。二軍で精力的に指導した荒木雅博コーチは、ラジオ出演した際に高松に関してこんなことを言っている。

 高松がいま戦力外になっても、朝起きて、満員電車に乗って会社に行くことすらできないかもしれない。社会に出た時に早く起きて苦しいことをやったり、毎日仕事をする。そういう感覚を身に付けるために、僕は今、朝起きて彼と一緒に早出(の練習)をやっているんです。

2019年5月25日「スポ音」(CBC)

 スポーツしかできない世間知らず。ふた昔前なら暴力と恫喝で“教育”したのだろうが、今の時代それは許されない。ややもすれば「あいつはどうしようもない」と見放されそうなものだが、高松にとって幸運だったのは荒木という面倒見がよすぎるくらいの師匠を得たことだった。

 2年目の昨年、二軍とはいえ82試合に出場し、打率.278と大きく成長をみせた高松は「荒木さんの言うことは全部正しいと思ってやっている」「基本を一から毎日一緒にやって頂いたことで今の自分があるのかなと思います」と感謝を口にした。自慢の俊足だけでなく、194打席に立って喫した三振わずか34個とミート力の高さも光った。荒木との二人三脚での練習の成果が、早くも形に表れた格好だ。

 シーズン終盤には根尾昂と共に一軍の試合にも出場。打席に立つ機会こそなかったが、代走で出場してプロ初得点を記録するなど最低限の働きはできた。さらに10月のフェニックスリーグでは打率.476と大暴れ。その存在感は、試合に出るたびに増している。そして迎えた3年目は、高松にとって環境の変化に立ち向かうシーズンにもなる。入団以来の師匠である荒木が一軍内野守備走塁コーチに異動になったのだ。

 野球のみならず生活面でもサポートしてくれた師匠から離れることで、高松はいやが上にも自立が求められる。今日の二塁打は与田監督はもちろんのこと、目の前で見ていたであろう荒木に対しても成長をアピールする一打になった。

 

 まだ途上とはいえ、一線級の投手相手に結果を出せば自ずと自信に繋がるはずだ。月が明けて2日からは全12試合の練習試合も再開になる。競争は激しいが、この3年間の急激な成長をみれば、高松が開幕一軍の切符を手にするのは決して夢物語ではないと思う。

 誰かが言ってた名ゼリフ「自信が確信に変わりました」。もしかしたら高松も、案外早くその域に届いてしまうかもしれない。