ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

「CS中止? 関係ないね」

www.sanspo.com

 苦渋の選択-。セ・リーグが今季、クライマックスシリーズ(CS)を開催しない方向で最終調整に入ったことが22日、分かった。新型コロナウイルス感染拡大の第2波、第3波に備え、レギュラーシーズンの日程消化や選手の体調管理などを最優先させる方針。一方、パ・リーグはCSを開催する。

 

 「なんで6球団しかないのに3つで争わないといけないの?」

 2018年の年末、落合博満は出演したラジオ番組でCS制度について疑問を投げかけ、さらにこう続けた。「いまだに大反対ですよ」。

 メジャーのポストシーズンにならって導入されたこの制度は、当初からそのルール設計の曖昧さが指摘されていた。借金持ちのチームが参加できること、そして落合氏が言うように、わずか6球団のうち3球団に日本一のチャンスが与えられることへの違和感はどうしても拭い去れないものがある。

 それでもプロ野球がビジネスである以上、背に腹は変えられない。大きな収益を生み出すCSは毎年のようにその是非が議論されながらも13年間にわたり続いてきたが、今年は日程調整の関係で野外球場の多いセ・リーグのみ開催しないことがほぼ決まった。

 

 パ・リーグに続いてセ・リーグがプレーオフを導入したのが07年のこと。以来、ドラゴンズは12年まで6年連続で皆勤を続けた。そのうち、1位で出場した10、11年はしっかりとその座を守り、2位で出場した07年はファイナルステージで巨人を撃破、いわゆる“下克上”で日本シリーズに歩を進めた。痛い目には遭わず、恩恵にはあずかったわけだから、ある意味でドラゴンズは最もCS制度を有効活用できた球団といえよう。

 にもかかわらず、当時チームを率いていた落合自身は「大反対」とまで言い切る。思い返せば落合は、セ・リーグのCS導入が決まった時点から一貫して疑義を唱え続けてきた。06年にリーグ優勝した際には「恐らく(セ代表としての)日本シリーズとしての形は最後になるよな」と皮肉まじりに語り、翌年CSファイナルで巨人を倒した際には「あくまでも優勝チームはジャイアンツ」とした上で胴上げ、ビールかけを行わないという対応をとった。

 それでいて、CSを勝ち抜くためにはどんな手だって使う狡猾さがいかにも落合らしい。今でも語り草の07年ファイナル初戦、右腕の山井大介か朝倉健太の先発を予想して左打者を7人並べた巨人に対し、ドラゴンズはこの年6勝6敗のサウスポー小笠原孝を起用。小笠原は見事に5回1失点と好投し役目を果たした。

 試合後、「奇襲でも何でもない。普通の選択だ」とうそぶいた落合に対し、原監督は「新聞を信じたのがいけなかった」と憮然。かつて同じユニフォームを着て凌ぎを削ったライバル同士だが、この時点では落合の方がまだまだ一枚も二枚も上手だった。

 

久々にAクラスが狙えそうなのに

 

 かつてはCSに出場するのが当たり前だったドラゴンズも、高木守道監督の下で日本一まであと1勝に迫り、惜しくも涙をのんだ2012年を最後に出場から遠ざかっている。恋だってなんだって、大切なものは失って初めて気付くもの。Aクラスがこんなにも尊く、難易度が高いなんて、あの頃はこれっぽっちも知らなかった。

 2020年。今年のドラゴンズは一味違うと言われている。里崎智也氏や上原浩治氏は「セ・リーグの優勝は中日」と予想し、熱心なファン界隈でも「今年はいけるぞ」という声がそこかしこで聞こえてくる。だが、現実的に“優勝”を目標として見たときに、経験の無さはどうしたってハンデになってくるだろう。森野将彦も和田一浩も、もういない。かろうじて吉見一起は残っているが、毎日ベンチにいるわけじゃない。大島洋平と平田良介は……当時まだ一人前とはいえなかった。

 残念ながら勝負どころでの踏ん張りを心得ている選手が少なく、たとえ終盤に優勝を狙える位置にいても巨人やカープに競り勝てる気があまりしない。それは監督にも言えることだ。海千山千、修羅の果てまで知り尽くした落合博満は別格として、与田監督は現役、指導者時代を通じて一度もペナントレースの優勝を経験したことがない(09年のWBCは投手コーチで貢献)。

 それならば“弱者の兵法”として下克上を狙いたいところだが、今季はその手が通用しなくなった。久々にAクラスが狙えそうだというのに、優勝を目指すしかないのである。現状のドラゴンズにとって、CS中止はシビアと言わざるを得ない。

 

「優勝」という自己暗示

 

 だが、与田は動じないだろう。就任当初から、与田は一貫して「優勝」を目標に掲げてきた。昨年の開幕前、なかなかオープン戦で勝てなかった時期に、「この戦力なら優勝を狙える?」との応援番組での質問に対してうつろな目で「YES」と答えたのが散々ネタにされたが、あれからわずか1年後には評論家に「優勝できる」と思わせるだけのチームを作り上げた。

 その後も与田はことあるごとに「優勝」を口にし、そのためには休む間もなく韓国、キューバ、ドミニカへと自ら渡るなど、チーム強化にすべてを捧げている。指揮官のこうした言動に感化されたのか、京田陽太、柳裕也など選手たちも次々に「優勝」という言葉を対外的に使うようになった。そして北谷キャンプ最終日、あのシャイが服着て歩いているような高橋周平キャプテンが、「今年こそ全員で一丸となって優勝をしましょう!」と叫んで一本締めしたのを見たときには、我が子の成長を見守る親のような感慨に打たれたものだ。

 

 まるで自己暗示をかけるように「優勝」という言葉を使う与田と、それに追従する選手たち。94年の10月7日、あの「10.8」の前夜ミーティングにおいて、巨人長嶋監督が「勝つ!勝つ!勝つ!」と大声で連呼することでナインを奮い立たせたのは有名な話だ。選手として参加した原辰徳は後に、「あのミーティングで一気に我々の闘争心に火がついた感じでした」(「10.8 巨人vs.中日 史上最高の決戦」鷲田康/文藝春秋)と“暗示”の効果を認めている。

 意図的かどうかは分からないが、与田も2位や3位ではなく「優勝」を目標にし、それを口にすることで着実にその意識が浸透してきた。だから今回、CSの開催が無くなっても与田は「あくまで優勝をめざしているので関係ない」とコメントするに違いないし、一ファンとしてもそのくらい強気でありたいと思う。

 「CS中止? 関係ないね。オレたちの目標は優勝だから」。半笑いではなく、今季は大マジメにそう言い続けることにした。