ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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ある日のドラゴンズ②モリミチ激怒!宇野まさかの失策

 日常から野球が消えて早数週間。本来なら一喜一憂に身悶えつつも幸せな日々を過ごしているはずの春なのに、社会は“緊急事態宣言”だの“首都封鎖”だの物騒な言葉で埋め尽くされてしまった。いつ終わるとも知れない未知なる敵との戦いにいい加減うんざりしている方も少なくないだろう。

 というわけで当ブログでは、少しでも読者の皆様に“日常”を感じて頂きたく、過去の中日ドラゴンズの試合の中からランダムにピックアップした1試合に焦点を当てて振り返ってみたいと思う。

 題して「ある日のドラゴンズ」。誰も憶えていない、なんなら選手本人も憶えていないような、メモリアルでもなんでもない「ある日」の試合を通して、平和の尊さを噛みしめようではないか。

 

 

1992年6月25日 vsヤクルト12回戦

 

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 怒りの矛先はキャプテンを務める大ベテランに向けられた。

 「宇野はもう使わん!」

 そうそう聞くことのない報道陣の前での“死刑宣告”。発言の良し悪しは別として、これほどまでに守道監督を激怒させたのは、サード宇野勝の集中力に欠けたプレーが原因だった。2回裏1死一塁の場面。秦真司の打球は三塁線へのゴロ。追いついた宇野は、封殺を狙って二塁へ送球したが、これが高く逸れてボールはライトへと転々。うまくいけばゲッツーでチェンジのはずが、一転して1死一、三塁のピンチを招いた。

 結局宇野は1打席立っただけで3回裏の守備から交代。それが懲罰であることは誰の目にも明らかだった。ただ、いくら“瞬間湯沸かし器”の異名をとる守道監督とはいえ、このプレーただ一度きりで交代を決断したわけではない。

 開幕から57試合、宇野がスタメンを外れたのは4試合だけ。不動のレギュラーとして使い続けてきたが、今日の試合が始まる時点で打率.249と一向に調子が上向く気配はない。それでいて守備でも凡ミスをやらかすのでは、堪忍袋の緒が切れるのも当然というわけだ。

 さて顛末をバラすと、さすがに「もう使わん」という事にはならなかったが、この日を境にして三塁の座は前原博之に譲り、7試合ぶりのスタメン復帰では2年ぶりにレフトを守った。しかし夏場以降、チームの低空飛行に伴って出番も徐々に減り、スタメンの顔ぶれも山崎武司や種田仁など若い選手が中心になっていった。早々と若手育成に切り替えたチーム方針にあって、生え抜き最年長34歳の居場所はもう無かった。この年のオフ、トレードでロッテに移籍。宇野は16年間慣れ親しんだチームを去った。

 

投打のツートップが揃って大不振

 

 ただ、この試合の敗因を宇野だけになすり付けるのは少々かわいそうだ。先述のエラーのあと、先発の郭源治は動揺からかストライクが入らなくなり、8番笘篠賢治にはストレートの四球、さらには9番ピッチャーの岡林洋一にも何と押し出しの四球。トップに返って飯田哲也にタイムリーを浴び、この回2点を失った。開幕投手を務めたエースがこれではチームにも勢いは付くまい。

 一方、打つ方も岡林の前に手も足も出ず2安打完封負け。特に4番の落合博満は深刻で、6月の月間打率は2割1分9厘と低迷にあえいでいる。試合後、「今日はオレに聞きにくるな」と報道陣をはねのけたのもフラストレーションの表れだろう。

 下世話な話だが、推定年俸の打のトップは言わずもがな3億円の落合で、投のトップは1億円の郭源治。年俸ツートップを張る投打の“顔”の苦戦が、チーム状態にも直接響いている。この日の負けで、首位を走るヤクルトとは4.5差。今後の反抗には、この2人の復活が絶対に不可欠だ。