ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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幻の開幕戦! 郡司の凄みを見た

 日常というのは、かくも簡単に崩れ去るものなのか? 当たり前の事として享受していた“普通の生活”が脆くも奪われた令和2年の春。桜の開花と共に開幕するはずだったプロ野球は未だに開催の見通しすら立たず、当初有力視されていた“4月10日”の開幕も事実上断念というショッキングなニュースが飛び込んできた。

 海の向こう、野球の本場MLBはもっと深刻で、早くとも5月下旬、あるいは7月や8月までずれ込むのではとの観測もある。そこまでいけば今度はシーズン中止も視野に入ってくるだろう。日本だって楽観視できない。見切り発車した末に野球場がクラスタ発生の震源地になったりすれば相当な批判を浴びるのは避けられないだろうし、国内最大の集客を誇るコンテンツである以上、それ相応の社会責任も負って然るべきだ。

 ファンとしてはどんな形であれシーズンを始めて欲しい思いでいっぱいだが、一方でそう簡単にはいかない事情もよく理解できる。果たしてNPBが最終的にどう折り合いを付けるのか、あるいは付けないのか。まったくもって不透明な情勢において、今日から最大12試合の練習試合が開始した。

 

 

猛攻を生んだ郡司の冷静さ

 

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 本来なら真っ赤なユニフォームと大声援で染まるはずだったマツダスタジアムのスタンドが、ウソのように静まりかえっていた。ふだん、なんだかんだと文句を言われがちなカープファンの“圧“もいざ無くなってみると物寂しいものだ。やはりプロ野球はファンあってのもの。あらためてそう感じずにはいられない“幻の開幕戦”を制したのはドラゴンズだった。

 1点ビハインドの7回表、それまでわずか2安打に封じ込まれていた難攻不落の大瀬良大地に集中打を浴びせて一挙4点を奪った。タイムリーを打ったのは京田陽太、大島洋平、高橋周平という主力どころだが、白眉は同点としたあとの2死一、二塁から貴重な四球を選んだ郡司裕也の選球眼だ。それまで2打席凡退で、打力を買われてのDHでの出場となれば結果欲しさに無理なバッティングに走っても仕方がない場面だが、六大学三冠王にして慶大19年ぶり日本一を「4番・主将・捕手」という立場で導いたこの男は冷静だった。

 

 初球から3つ、一切振らずにカウント3-0とし、4球目の外角ストレートを見送って3-1。ここまでは分かる。だが驚愕したのが5球目。大瀬良の武器でもあるスラッターが外角やや高めに来た。おそらく浮いたわけではなく、打者が「来た!」と振りにいった瞬間に手元で急激に曲がり、芯を外すという悪魔のような思惑だろう(球速125キロの変化球はスラッターではなくスライダーとのご指摘を受けました。確かにそのとおり。訂正致します)しかし、なんと郡司はこれをも平然と見送ったのである

 ここまでの5球、大瀬良は外角の高低をフル活用して郡司の狙い球を見極めようとした感がある。まさにエースの投球術だが、郡司の対応はまさかの“振らず”。 動かざること山の如しといった“郡司不動”を前にして大瀬良が開き直ったように投じたフィニッシュの6球目は真ん中やや低めへのストレートだったが、郡司はこれすらも微動だにせず見送り、決勝点に繋がる貴重な四球をもぎ取った(もいでも取ってもなく、立っていただけだが)のである。

 むしろストライクとセルフジャッジし、ベンチに戻りかけた大瀬良の方が痺れを切らしていたのかもしれない。ルーキーながら球界屈指のエース相手に駆け引きに勝つしたたかさ、そして欲に走らぬ冷静さを併せ持つとはこの郡司、やはり只者にあらず。

 いくら打力が優れているとはいえ、大瀬良はそう簡単に打てる相手ではない。ならば選球眼を生かして“繋ぎ”に徹しようというのは、先代の正捕手で歴代10位の1133四球を稼いだ谷繁元信にも通じる意識である。

 こうなると今日が本番じゃなかったことが悔やまれるが、それはそれ。色々課題もありつつ、郡司の選球眼が確かめられただけでも大いに希望がもてる“幻の開幕戦”だったといえよう。