ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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白井文吾、退任す

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 本能寺の変、関ヶ原の戦い、大政奉還、ポツダム宣言受諾……。日本史において歴史の分岐点となる瞬間があったように、今日は中日ドラゴンズにとってまさしく歴史が動いた日となった。

 白井文吾オーナー退任す。いつか来ることは分かっていたが、その一報はあまりに突然に、不意を突くようにして舞い込んできた。昨年、球団社長の交代が発表されたのが3月25日だったように、中日新聞社の人事は3月、9月のいわゆる期末に動くのが通例となっており、この時期の発表自体が異例といえる。

 後任には大島宇一郎オーナー代行が就任するという。2017年に現職に就いた時点でこれは既定路線。特に昨秋の球団納会の折、白井ではなく大島代行が乾杯の音頭を取ったことから「Xデー近し」と見る向きは多かった。21年ぶりの大島派復権、そして93歳から55歳へのバトンタッチとあって、今後球団の方向性が大きく切り替わるのは間違いないだろう。

 

 

黄金期築くも晩年は逆境にさらされた

 

 白井がオーナーに就任したのは星野監督の下でリーグ優勝を果たした翌年、2000年のこと。以来、これまでの最長だった加藤巳一郎の14年を大きく上回る20年間に渡ってドラゴンズの実権を握り続けた。誰が呼んだか、ついたあだ名は「名古屋のナベツネ」。

 そんな白井を象徴するトピックスといえば2003年10月の落合博満の監督招聘を置いて他にはない。今回の退任報道でも、目を通した限り全てのメディアが落合との蜜月関係にフォーカスを当てている。

 2013年には2年前にクーデターを起こした反対勢力を一掃し、落合GM、谷繁監督の新体制を築くなど、周囲をあっと言わせる仰天プランを実行する改革者としても辣腕を振るった。

 ただ、就任してからの20年間で本業である新聞事業は急速に斜陽化し、ドラゴンズにかけられる“お金”も年々縮小の一途を辿った。それまでの中日は球界でも比較的、補強に積極的な球団として知られたが、2006年オフにFAした日ハム・小笠原道大の獲得を「資金不足」のために断念してからはコストカット路線に舵を切り、近年はマネーゲームの不参加を表明するなど“渋チン球団”のイメージが定着している。

 落合-谷繁体制の事実上の失敗、消極的な補強姿勢、それに伴うチーム成績の低迷が追い討ちをかけ、かつては名物オーナーとして名を馳せた白井も近年は厳しい逆境にさらされていた。プロ野球のオーナーとしては異例の高齢である93歳。黄金期を築いてくれた感謝と共に、身を引くには遅きに失した感が拭えないのも、また率直な感想である。

 

気になる人気OB達の動向

 

 ファンとして気になるのは、白井退任が及ぼす今後のドラゴンズへの影響だ。特に人事面では、一部の有力OBが白井の一存で現場復帰できないのではという噂話が、あたかも事実であるかのように多くのファンに認知されており、今オフの動向に注目が集まる。

 具体名をあげれば山本昌は昨秋から阪神の臨時コーチを務め、その手腕が高く評価されているが、コーチを引き受ける際に中日球団に許可を取りに出向くほどの忠義をみせており、与田監督とも懇意にしていることからタイミングさえ合えば入閣は間違いなさそうだ。他にも川上憲伸井端弘和など黄金期に貢献した人気OBの入閣が期待される。

 そして白井といえば大阪出身の大物内野手T氏とのしがらみが有名だが、遂に壁が崩れたことにより、一気に事態が進展する可能性も出てきた。もし今季、与田ドラゴンズが昨年に続いてBクラスに終われば、その気運はますます高まっていくだろう。

 ただ、T氏を監督に担ぎ上げるために大したビジョンもなく与田を引きずり下ろすようなマネだけは絶対に犯してはならない。時代は昭和でも平成でもなく、もう令和なのだ。戦前から続く大島派、小山派の不毛な政治合戦はもうたくさん。今回の大島宇一郎体制には、両派閥が一枚岩になって戦う“新時代のドラゴンズ”の姿を見せて欲しいところだ。

 

大阪出身の大物内野手T氏…。なんつうオブラートに包んだ表現だ

100人に1人くらいは種田だと思うかもしれないよね

 

※告知していた「特集・水原茂監督の3年間」は予定を変更して明日アップ致します……他にデカいニュースが入ってこない限りは!