ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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天才岡林に仁村ゾッコン

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 今朝の中日スポーツ、ペラペラとめくっていると4面に興味深い記事があった。「岡林 一軍デビュー見えた」。昨日の二軍の練習試合で2打数2安打を放ったルーキーの岡林勇希を早ければ3月3,4日のオープン戦で出場させるプランがあるとのことで、記事によれば仁村二軍監督も「この打者を抑えられる投手は一軍で通用する」「二軍で一番いい打者」とベタ褒めしている模様。

 左肩の炎症で別メニュー調整中の石川昂弥がちょうどこの時期に実戦復帰が見込まれているので、これに先駆けて岡林が一軍デビューとなればインパクトも強い。与田監督は「雰囲気だけでも若い選手に味わわせたいと思っている」と昇格するにしてもあくまでお試しである旨を示唆しているが、アピール次第では当然首脳陣の考え方も変わってくるだろうし、その先に待つ“開幕一軍”も視界に入ってくるはずだ。

 

 

1面でもおかしくない異例の抜擢

 

 下位指名の高卒ルーキーがこの時期に一軍に推薦されるのは極めて異例。本来、モノクロ刷りの4面などではなく1面を飾ってもおかしくない話題だと思う。ここで賢明な読者諸氏にクイズを出してみよう。平成の31年間、ドラゴンズの高卒ルーキーで開幕一軍の切符を手にした選手は何人いたでしょう。

 これが即座に答えられれば大したもの。正解は、高橋周平(2012年)ただ1人。荒木雅博や森野将彦も、この頃にはまだ蕾のまま開花を夢見ていたのである。ちなみにプロ野球全体で見ても同条件で開幕一軍を果たした選手はわずか18人しかおらず、最多は谷繁元信(大洋)、川崎憲次郎(ヤクルト)らがいた1989年の5人で、92〜99年までは誰一人としてその切符をつかむことはできなかった。

 ただし松坂大輔は開幕4試合目に先発投手を務めたので実質的には開幕メンバーに入ったに等しい。

 

狭き門に阻まれた18歳たち

 

 このように、極めて狭き門といえる高卒ルーキーの開幕一軍。それでも過去には果敢に挑んだ選手たちもいた。たとえば2003年、ドラフト3巡目で入団した櫻井嘉実は天性のパワーが買われてキャンプから一軍に帯同。2月末のオープン戦初戦では、なんと「4番レフト」でスタメンにも抜擢されたが、結果は残せず。将来の4番候補と期待された混血の大砲は、開幕一軍はおろか一度も一軍に呼ばれることなく4年目を限りにユニフォームを脱いだ。

 今にして思えば、体力・技術ともに未熟であるにもかかわらず、話題づくりの一環として連れ回された感が否めず、大事な1年目のキャンプで基礎的な体づくりに集中できていれば、もっと別の未来があったように思えてならない。

 その後も吉川大幾などキャンプまでは一軍に帯同する選手はいたが、ライバルを押しのけて18歳が開幕一軍の座に割って入るのは並大抵のことではない。その中で、平成唯一の達成者となった高橋は、よほど光るものがあったのだろう。

 首脳陣の方針やタイミングにも依るので開幕一軍が一概に実力を示す指標とはいえない面もあるが、それでも快挙には違いない。あの仁村が手放しで絶賛する岡林は、果たして開幕をどこで迎えるのだろうか。

 ……その前に、果たして無事に開幕を迎えられるのだろうか。

 

明日(27日)は「田尾安志トレード」に続く特集第2弾をお届けするよ

今回は「水原茂監督、激動の3年間」に焦点を当ててみたぞ。オールドファンも、若いファンも必見だ!