ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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溝脇が来た‼︎

 「次に2番を付けるのは溝脇だと思う」

 

 2018年の秋、現役引退したばかりの荒木雅博は、自身の背番号「2」の後継者に溝脇隼人を指名した。続けて荒木は「自分の口から“渡してください”とは言わないが、頑張り次第で一桁の背番号を付けるときが来る」とも語った。

 単に同郷出身の内野手だからひいきしているわけではない。荒木はそれ以前からたびたび溝脇の野球センスを褒め、またコーチに就任してからも、言葉の端々に溝脇への期待をにじませてきた。

 荒木だけではない。選手が監督の身になって2018年の開幕オーダーを考えるというラジオの企画で、当時まだ現役だった岩瀬仁紀は「2番セカンド」に溝脇を選んだ。いわく、「荒木の後継者は溝脇だと思った」そうだ。「荒木を押しのけて出てくるとしたら溝脇しかいない」。あの岩瀬にそうまで言わせる溝脇は、プロ目線で見ても頭ひとつ抜けたセンスの持ち主であるのは間違いないようだ。

 荒木と岩瀬という一時代を築いたレジェンド2人から名指しで推薦をうけながら、溝脇は8年目を迎えてもまだ一軍半の立ち位置に甘んじている。その原因は、チャンスをつかみかけるたびに邪魔をする、厄介な怪我のせいだ。

 

 

怪我による2度の長期離脱

 

 最初のチャンスは入団5年目の17年だった。オープン戦から活躍して初めて掴んだ開幕一軍。この年の初打席でいきなりプロ初本塁打をマークするも5月に負傷。右足関節骨軟骨摘出術を受け、残りのシーズンを棒に振った。

 手術の影響から18年は一軍に上がれず、2年ぶりに昇格したのが昨年の5月。久々にスタメン起用された19日の巨人戦では猛打賞の活躍で勝利に貢献したが、わずか1週間後に右手の違和感で抹消されると、これが有鉤骨骨折と診断され、またしてもチャンスをつかみ損ねた。

 怪我による2度の離脱で遠回りを余儀なくされ、気付けば周りには年下がずいぶんと増えた。背番号「2」を継ぐことも叶わなかった。5月には26歳になる。そろそろ“期待の若手”とも呼べなくなる年齢だ。ドラゴンズは昔から高卒選手の芽が出るのが遅いと言われるが、それでも8年目の荒木は既にレギュラーを取っていたし、遅咲きの代名詞の森野将彦だって80試合は一軍の試合に出場していた。溝脇もそろそろ昼間のナゴヤ球場からは足を洗わなければいけない頃合いだ。

 

開幕一軍は通過点だ

 

 今日の練習試合でいちばん目を引いたのは、ぶっちぎりで溝脇のバッティングだった。今の状態をあと1ヶ月維持できれば、自ずと開幕一軍の座はつかめるだろう。ただ、2,3年前の荒木や岩瀬にいわせれば、今ごろ溝脇はとうにレギュラーを張っていないとおかしい存在だったはずだ。この期に及んで開幕一軍がどうこう言っている場合ではない。

 既に2度あったチャンスはいずれも怪我でふいにした。3度目の正直となるか、それとも仏の顔もなんとやらになってしまうか。溝脇にとって、今年は分岐点になる重要なシーズンになりそうだ。

 

荒木、岩瀬だけじゃないぞ。あの木俣もバッティングを褒めてたぞ

「あの」を付ける意味あるのか、木俣に