ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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おじいさんと杉下茂さん

 今日から始まった春季キャンプ第2クール。若手の躍動が毎日のように伝えられ、例年以上に充実した内容になっていると感じる。嬉しい、楽しい、そんなポジティブな感情で満たされるべきはずなのに、どこか心が晴れないのは、やっぱりあの人の姿を見かけないからだろう。

 “御大”こと杉下茂さんが、未だにキャンプに来ていない。例年であれば初日から訪れ、90歳台には思えぬピンと背筋の伸びたシルエットで厳くも温かい視線をブルペンで投げる投手たちに送る姿が北谷の風物詩になっていた。それを見て「ああ、今年も杉下さんはご健在だ」と、元気を貰っていたファンも多いようである。

 子供の頃、いつも決まった時間に決まったコースを散歩する近所のおじいさんがいた。遊びに夢中になっていても、おじいさんが来ると「もう17時か」といった感じで散り散りに解散する、子供たちにとって時計がわりの存在だった。数年経ち、いつのまにか外遊びよりもスーファミで遊ぶようになった頃、ひさびさに公園で遊んでいると、ふといつもの時間になってもあのおじいさんが現れないことに気が付いた。と同時に、“もう二度と見かけることもないのだろうな”とも、なんとなく子供ごころに察した。

 優しく声をかけるでもないし、笑顔で子供を見守るでもない。ただ無表情に、いつも同じ時間に公園を横切っていただけのおじいさんなのに、その存在がいなくなってしまったのが妙に切なかった。日が沈んでも、もうおじいさんは来ない。少し背の伸びた子供たちは、言葉にこそ出さなくても、皆そのことに気付いていたと思う。

 

 

23年間訪問し続けたキャンプ

 

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▲23年前、最初の塾生は宣銅烈だった
中日スポーツ(1997年11月15日1面)

 

 杉下さんのいないキャンプは、なんだか空虚だ。それもそのはずで、杉下さんが中日のキャンプに訪れるようになったのは1997年のこと。以来、23年連続で若竜に叱咤激励を送り続けてきた。

 とは言え、最初の訪問は春ではなく秋季の北谷キャンプだった。94年限りで最後の現場仕事になった西武のコーチを退任し、この年中日のOB会新会長に就任したばかりの杉下さんに、親交のあった宮田征典コーチが臨時コーチを請うて実現したものだ。後に名物となる“神様フォーク伝授”の最初の受講生は来日2年目のシーズンを終えたばかりの宣銅烈。「杉下さんがフォークの神様と言われていたことは知っている。その人に教えてもらったんだから自慢できる」と“まるで子供のような笑顔を見せた”。そう当時の中日スポーツには記されている。

 その後も05年の春キャンプでルーキー・金剛弘樹の投げるフォークを「これこそが本物のフォーク」とお墨付きを与えたり、つい昨年も鈴木博志に熱烈指導したばかり。今年は誰が新たな塾生になるのかと、来るのが当然だと思っていただけに、突然パタリと途絶えると不安もひときわだ。

 だからこそ、この辺りでひょっこり現れてくれないかと期待しているのだが、どうかご無理はなさらず、ご自宅からでも良いのでまだまだ若竜への叱咤を続けて頂きたい所存。ちなみに先述したおじいさんは、なんと30年近く経った今でもご健在だそうで。

 

てことは、おじいさんに見えていただけで、当時はまだ60そこそこだったわけか

子供から見れば60以上は皆老人だからな。ちょうど杉下さんと同世代かな