ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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鬼の立浪! 茶髪禁止令に福留ビビった

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 2月1日のキャンプインに向けて28日にひと足早く到着した与田剛監督に続き、今日は選手、スタッフら約100人の関係者が揃って沖縄入りした。コロナウイルスの流行で全員がマスク着用という異様な光景ではあるが、今のところ大きな怪我なく日本人選手が揃って沖縄入りできたことが何よりの幸いだ。

 

去年は藤嶋が名古屋で留守番だったな

ショックを隠して気丈に振る舞う姿が痛ましかったよな。それと根尾も肉離れを抱えてのキャンプインだった

 

 今季は東京五輪の開催に伴って例年よりも1週間ほど早い開幕となるため、選手たちにはそれに合わせた前倒しの調整が求められるが、とにかく全ての選手が怪我なく無事に完走できること。キャンプインを前にしてファンの望みはただその一点に尽きるといえよう。

 

合同自主トレ廃止の結果やいかに

 

 今年のキャンプ、まずは合同自主トレを廃止した成果がどう出るかが見どころのひとつだ。例年は1月中旬から一部の主力を除く全選手がナゴヤ球場で汗を流すのが慣例となっていたが、今年は福田永将前選手会長の発案で廃止になった。合同自主トレはメニューがある程度決まっていることから、やりたい練習が思うようにできないとの意見が内部で上がっていたのだという。

 確かに近年はトレーニング分野の進化が目覚ましく、選手の調整法も多種多様になっている。根尾のように遠方の有名施設へ出向く者もいれば、藤嶋のように米軍基地を借りて極秘練習に励む者もいる。選択肢が増えているからこそ、この時期にしかできない事をやりたいと思うのは当然である。チーム一同が顔を揃えて走り込みといった基本練習に汗を流すというのは、ある意味で時代遅れの光景なのかもしれない。

 だが、自主性に任せた結果、キャンプに身が入らないのでは元も子もない。合同自主トレにはキャンプインの前にチームメイトと顔を合わせることで緊張感を取り戻すという意義もあったはずだ。それが無くなった今年、若手選手たちがキャンプ初日にどんな動きを見せてくれるか楽しみである。

 

2000年の茶髪禁止令

 

 今からちょうど20年前の2000年。この年から選手会長に就任した立浪和義は合同自主トレの初日、集まった選手たちを前にこんな指令を出した。

 「茶髪禁止。キャンプまでに黒くしろ」

 当時といえば茶髪や金髪の全盛期で、流行に敏感なサッカー界に続いて野球界にもにわかに派手な色の頭髪をした選手が増えてきた頃だった。松坂大輔や中村紀洋の似合わない金髪をご記憶の方も多いだろう。

 だが“硬派”の代名詞のような立浪はそれを良しとしなかった。「キャンプになれば間違いなく(星野)監督が引き締める言葉を言うはず。その時にいちいち髪のことを言われたくないでしょう」というのが理由のひとつだが、それ以上に、前年リーグ優勝を果たしたことで「周りから”浮かれている“と言われたくない」という想いが立浪にはあった。実際、この日久々に集まった選手たちの中には明るい髪色がチラホラ混じっていた。

 近鉄から移籍してきたばかりの小池秀郎、大西崇之、そして2年目の福留孝介も、最後まで一度もグラウンドで帽子を脱ぐことはなかった。その下にはハワイ自主トレから帰国後、染めたばかりの自慢の金髪が隠されていた。「キャンプまでに何とかしなくちゃ」。憧れの立浪の指令とあってバツが悪そうに恐縮しながら、福留は深く帽子を被りなおした。

 

失意のシーズンオフ

 

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▲茶髪禁止令を神妙な面持ちで聞く佐野慈紀

 

 このように合同自主トレには、球界の正月であるキャンプインを前にあらためて襟を正す意味合いが含まれている。この年も派手な髪色が増加の一途を辿ったプロ野球にあって、中日だけは黒髪・短髪を基本として戦い通した。例外は合同自主トレに参加せず、「茶髪禁止?何それ?監督がそう言ったの?」とシラを切って茶髪を貫いた武田一浩だけである。

 

さすが”明大の生んだ狂犬“こと武田さんは肝が座っておられる……

武田に男の炎ありとはよく言ったもんだ

 

 だが、そうして臨んだシーズンは立浪の志の高さもむなしく巨人に大差を付けられての2位に終わった。CSもなく、中日もAクラス入りが当たり前だった時代だ。今なら2位になれれば御の字だが、当時の星野監督に言わせれば「2位と最下位は同じ」。ディンゴが期待外れに終わり、最後は巨人にコテンパにやられて長嶋監督の胴上げを見る羽目になった2000年は、ファンの間では失意のシーズンとして記憶されているのだ。

 そうして迎えたシーズンオフ。連覇のプレッシャーと周囲の厳しい目から解放された中日ナインの中で、真っ先に髪を茶色に染めた選手がいた。立浪和義である。

 

えっ! あんた言い出しっぺじゃ……

これが立浪。これでこそ立浪よ

 

【参考資料】

中日スポーツ2000年1月21日1面

それペナ「はじめての立浪和義」