ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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歌は世につれ、世は歌につれ 平成初期・あの選手のカラオケ十八番は?

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 石川昂弥の打席登場曲が湘南乃風「SHOW TIME」に事実上、決まったそうだ。なんでも東邦高のマーチングバンドの演奏曲だそうで、この曲がアルプススタンドで鳴り響いた昨春の選抜大会では石川の投打に渡る大活躍で見事に同校が全国制覇を果たした、いわば縁起のいい曲だ。冒頭の「戦闘開始」、そして「打て×5」のフレーズは打者の気持ちを鼓舞するのに最適で、過去には西武時代の炭谷銀仁朗が登場曲に使っていたこともある。

 同曲に限らず湘南乃風といえば数多くの選手が採用してきた登場曲の定番アーティストだ。一時期に比べれば減少傾向にあるものの、中日では木下雄介が「黄金魂」を使用するなど未だに根強い支持を集めている。男同士の勝つか負けるかの世界において、湘南乃風が発するオラオラ系の“熱さ”が共感を呼ぶのだろう。他にも谷繁元監督と親交の深いAK-69、松坂大輔とコラボしたEXILE系など、登場曲には“ワル”に好まれそうな男臭いアーティストが選ばれやすい傾向があり、間違ってもさだまさしオフコースといった繊細でか細いイメージの楽曲は選ばれないのである。

 

オフコースは有りじゃないか?

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラつって田島が炎上する姿しか浮かばねえよ

 

平成初期・あの選手のカラオケ十八番は?

 

 選手の登場曲を日本で初めて球場に響かせたのは90年代終わり頃の千葉マリンスタジアムだとされている*1。そこから数年経って00年代に入ると他球団も次々と追随し、ナゴヤドームでも解禁になったのは02年だったと記憶している。余談だが、氣志團の「One Night Carnival」を長年使用していた井端弘和が09年に突然ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」という渋い曲に変えたのは、やはり結婚したばかりの奥様の影響だったのだろうか。当時、あまりのイメージの激変に驚いたものである。

 登場曲で選手の音楽の趣味が知れるようになったのはファンとしては楽しい限りだが、それ以前の時代はというと、90年代初頭の選手名鑑に掲載されていた「カラオケの十八番」欄が貴重な手がかりだった。時代は通信カラオケの全盛期。会社の二次会は必ずカラオケで、頬を赤らめた上司がOLの肩を抱きながら「愛が生まれた日」なんかをデュエットしていたセクハラ全盛時代、夜遊び大好きな野球選手も、ご多分にもれず行く先々で美声を披露していたようだ。

 

 ここでは「週刊ベースボール 92プロ野球全選手写真名鑑」(ベースボールマガジン社)を参考に、平成初期のドラゴンズの主力選手たちが栄や錦で歌っていたであろう十八番を一挙に紹介しよう。

 

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▲昔の男臭さとは、すなわち演歌だったのだ

 

 山本昌、井上、立浪といった若手が「愛は勝つ」「どんなときも」など当時のヒット曲を歌う一方で、西本、落合博、宇野という3ベテランが揃って演歌・歌謡曲を持ち歌としているのがおもしろい。そんな中で当時27歳にして「愛しき日々」を歌う与田はさすがの社会人出身といったところか。

 86年の年末に日本テレビで放送された「年末時代劇スペシャル・白虎隊」の主題歌でもある同曲は、アリス解散後、低迷していた堀内孝雄が心機一転、演歌に転向して久々に飛ばしたヒット曲としても知られる。鮮烈なデビューを飾るも怪我で不甲斐ない日々を過ごしていた当時の与田が「俺もべーやんのように復活するぞ」との想いを込めて歌っていたかどうかは定かではないが、不思議と境遇に重なるものがある。

 そして注目すべきは我らが山崎の「ダンシング・オールナイト」である。80年の年間チャート2位*2にも輝いた大ヒット曲だが、言われてみれば山崎の少しかすれ気味の声は、もんたよしのりのゴリゴリにかすれた声と相性が良いのかもしれない。

 今や演歌や歌謡曲を愛聴する選手など皆無、登場曲で流れてくるのもノリのいいアッパーチューンかヒップホップがほとんどだが、個人的には平成初期の十八番の方が好みである。たとえば現役時代の立浪が使用していた「翼の折れたエンジェル」のように「この選手といえば、この曲」とイメージしやすい曲が最近は少ないように感じるので、一人くらい正統派のポップソングを採用してもおもしろいと思うのだが、果たして今季はどんな登場曲がナゴヤドームに響き渡るだろうか。

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