ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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2020年、優勝イヤーが始まった

 あけましておめでとうございます。

 

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違う違う、時代がおかしいっての

オリンピックイヤーといえば昭和63年の名古屋五輪だろうよ

きさま、名古屋人のトラウマを正月早々蒸し返しやがって……

 

幻の名古屋五輪

 1988年夏の五輪開催地は名古屋でほぼ決まりと誰もが信じて疑わなかったが、1981年9月30日に行われたIOC総会での決選投票の結果、ソウルに惨敗を喫して夢は破れた。当日、特別番組を編成してお祝いムードを盛り上げようとしていた地元テレビ各局は一転してお通夜ムードに。

 ちょうど同時期にタモリが名古屋を揶揄していたこともあり、“大いなる田舎”と言われる垢抜けないイメージが全国的に定着したのである。

 

決め手は韓国サイドがIOCに積んだ多額の賄賂だったとも言われているが

五輪誘致に賄賂は当たり前。見栄は張るが金は渋る、名古屋特有のケチ気質が裏目に出た格好だ

 

 だが誘致失敗の翌年1982年、失意の名古屋を明るく照らしたのは近藤ドラゴンズの見事な優勝だった。さらに1988年、ソウル五輪の盛り上がりに素直に乗れない名古屋人を救ったのは、星野ドラゴンズの快進撃だった。

 名古屋人の心はいつの時代もドラゴンズと共にある。オリンピックイヤーの今年は世間的には「東京五輪の年」と未来永劫語り継がれることになるだろうが、名古屋だけは違う。将来、2020年の出来事を問われた時に名古屋人はこう答えるだろう。「与田ドラゴンズ優勝の年」と。

 

さあ、栄光の優勝イヤーの始まりだ

東京五輪の熱気が冷めない秋にひっそりと優勝する姿が目に浮かぶぜ

 

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