ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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陽キャ・石川昂弥、ナゴヤドームにビビる

 

 少し古い話題だが、16日の入団会見を終えた新人7人はその足で本拠地ナゴヤドームを見学。グラウンドレベルで“職場”を目の当たりにした石川昂弥は、フェンスを見上げながら「広っ‼︎」と一言。「130mくらい打たんと届かんな」と打者泣かせのナゴヤドームに強烈な皮肉をお見舞いした。さらに「ホームランテラスってあるんですよね?ナゴヤドームもそんな話なかったですっけ」と同行した報道陣に逆取材を敢行。デリケートな話題にも大胆に踏み込む強心臓っぷりを見せつけた。
 ニュース番組で放送されたこの1分足らずの映像からして、石川が並のルーキーではないことがよく分かる。普通なら神妙な表情で「広さに負けないような打球が打てるように頑張りたい」とかなんとか当たり障りのないコメントをしそうなものだが、石川は平気な顔してジョークを飛ばしてしまう。このあたりは才能。もちろん野球にも生かせる。チャンスを迎えると萎縮する打者が多い中日にあって、石川はチャンスを文字通り“チャンス”と捉えることのできる陽性の気質を持っていそうだ。チームメイトでいえば高校の先輩・藤嶋健人のようなムードメーカーになり得る存在といえよう。

 東邦高出身の投打の“陽キャ”が、暗く長いトンネルからチームを救い出す日も近い。

 

 

ディンゴ、初ナゴヤドームにも余裕の逆質問

 

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▲メジャーの力を見せたのはシドニー五輪の日本戦だった

 

 中日ドラゴンズ歴史研究を主目的とする本ブログは、むしろここからが本題。

 「ナゴヤドーム見学」で思い出すのは2000年1月、デビッド・ニルソンあらためディンゴの姿だ。来日の経緯などは以前詳しく書いたので、そちらをご覧いただこう。

www.chunichi-wo-kangaeru.com

 

 夫人同伴で2月5日に来日したディンゴは、既に始まっていたキャンプ地の沖縄には直行せず、一夜明けた6日に新居の高級マンションとナゴヤドームを関係者の案内付きで視察するVIP待遇のあと沖縄入り。このあたりにもバリバリのメジャーリーガーに対する当時の期待値の高さがうかがい知れる。

 初めてナゴヤドームを訪れたディンゴは「ベリーグッド、ベリーナイス」とロッカールームや食堂、浴室など施設の充実ぶりに感嘆。グラウンドに出ると、“子供のように目を輝かせながら、ゆっくりと全方向を見回した”(当時の中スポより抜粋)。

 記者から「ナゴヤドームは本塁打が出にくい球場だが…」と質問が飛ぶと、笑いながら「遠征の試合が多い方がいいね。1本は打ちたいよ」とアメリカン・ジョークで応える余裕っぷり。もちろん本心は自信にあふれており、「フェンスまでの距離は(古巣の)ミルウォーキーと変わらないよ」と“問題なし”を強調した。

当時のブルワーズの本拠地・カウンティスタジアムの両翼がナゴヤドームより4mも短かったのはここだけの話だぞ

なお中スポは「外的条件に左右されるカウンティスタジアムと感覚的には同じと判断したのだ」とかいって無茶な擁護をしてて笑えるぞ

 目測を誤ったディンゴは「どれくらい打って欲しいんだ?」と逆質問。前年、メジャーで31発を放った大物は異国での活躍にも自信をのぞかせたが……。

 

結果、ナゴヤドームでは不発に終わる

 

 大いに期待されたディンゴだが、結果を見れば「1本は打ちたいよ」というジョークさえも幻に終わった。公式戦で打ったのは、開幕早々の4月7日に横浜スタジアムの夜空に架けた特大の場外弾1発のみ。肝心のナゴヤドームでは遂に最後まで打球がスタンドを超えることはなかった。

 翻って石川昂弥は「東邦高のグラウンドと変わらないですね」などと虚勢を張ることなく、素直に広さを恐れただけ期待が持てる。超えるべきハードルを認識してこそ、そこにアジャストするための正しい努力ができるというもの。球団史上最悪ともいわれる大物助っ人の失敗は、球場の広さを見誤ったところから始まっていたのかもしれない。

 

【参考資料】

東海テレビ「ニュースOne」12月17日放送回

中日スポーツ 2000年2月7日付

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