ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

立浪、白井10年冷戦終結か

www.chunichi.co.jp

 京田陽太の契約更改には驚いた。打率.249、本塁打3、打点40という成績はレギュラー野手としては最低限ともいえる水準。となれば焦点は球界屈指の守備貢献度と、ショートの希少価値、そして入団から3年間大きな怪我もなく出場し続けている点がどれだけ評価されるか。今年の年俸が4500万円と一定以上の額に達しているため、中日球団の財布の紐が固いのを加味して800万アップの提示で一旦は保留。代理人交渉を踏まえて最終的に1200万アップが関の山かと予想していただけに、1900万アップで笑顔の一発更改はまったく想定外だった。

 ちなみに私が個人的に付けている「木俣査定」では京田は1300万円アップと査定。基本的に大甘スタンスのため、実際の提示額を下回ることは稀なのだが、今回に限っていえば中日球団が頑張ってくれた。まさに「ようやっとる」な提示額である。

 

 

立浪、白井冷戦終結か

 
 ショートは捕手と並んで育成するのに骨が折れるポジションだ。ましてやレギュラーを勝ち取れるショートとなれば尚更。中日もGG賞7回受賞の名手・井端弘和が退団してからの数年間はアンダーソン・エルナンデスや堂上直倫、遠藤一星を併用するなどずいぶん苦労したものだ。2017年の京田の入団により無事解決したショート問題だが、2000年に井端が一軍に定着するまでの数年間は福留孝介、李鍾範、鳥越裕介、種田仁らが急場を凌ぐ状態が何年も続いていた。その意味では井端の先代にあたる純然たるショートのレギュラーは、1991年の立浪和義まで遡る必要がある

 1年目から肩の痛みを隠して出場したツケで5年目の1992年シーズンからセカンドにコンバートした立浪だが、PL高時代から見てきたファンは未だに「立浪はショート」のイメージが強いと言う。高卒1年目にショートでGG賞受賞という空前絶後の快挙を成し遂げた立浪も、ユニフォームを脱いで早10年。「そろそろ」の声が年々強まる中、「立浪和義氏野球殿堂入りを祝う会」が5日、名古屋市内のホテルで約500人が出席して行われた。

 球界の大御所が一堂に会したのはもちろんのこと、テレビ局の社長らが顔を揃えた壮観な光景は祝賀会というよりはさながら政治資金パーティーに近かったのではないかと想像できる。実際、ヘタな市議会議員なんかよりも立浪の方が権力を持っていそうな雰囲気すらある。

 さて、注目すべきは犬猿の仲とされる白井文吾オーナーも出席。一緒に鏡開きまで行ったというのだから衝撃だ。

▲白井オーナー(右端)も鏡開きに参加

 

 不見識なメディアは落合との不仲発言を殊更に強調して報道しているが、見る人が見ればパーティーのハイライトはどう考えても白井オーナーとの雪解けを思わせる、この鏡開きシーンである。中日スポーツは一面でこの話題を取り上げ、「パーティーの席上で言葉を交わす立浪さんと白井オーナー」という注釈付きでツーショット写真を意味ありげに掲載。大見出しの「立浪 星野&落合イズム継承」なんかも、もろに将来の監督就任を見据えた表現だ。

 白井オーナーに追い討ちをかけるように、OB達も祝辞で次々と“立浪監督待望論”を口にする。高木守道が、山田久志が、井端弘和が、森野将彦が、まるで口裏を合わせたかのように援護射撃を送るサマは、出席している与田監督にも少しは配慮しろよと思わずツッコミを入れたくなるほど。現場復帰反対の本丸ともいわれる白井とて、これだけの勢いで集中砲火を浴びればひとたまりもないはずだ。

 そんなわけで長年のアンタッチャブルである“立白10年冷戦”がにわかに雪解けの様相を見せた、中日の裏歴史の上でも転換点として語られそうな一夜になった。

 

なぁにが“立白10年戦争”だ、たぁけ

実現すればペレストロイカとベルリンの壁崩壊が同時に来るような歴史的大事件だぞ