ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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【1994年12月】若きプリンス立浪、1億円プレーヤーに!

 師走到来。

 今年も残すところあと1ヵ月。忘年会にクリスマス、年末年始の準備と何かとイベントが多く、出費もかさむ季節である。総務省統計局の調査によると12月の消費支出は他の月の平均に比べて1.15倍も多く、年間で最も支出が増える月なのだそうだ。

 大抵の人が家計のやりくりに頭を悩ませる12月は、昔からプロ野球界でもお金にまつわる悲喜こもごもが数多く生まれてきた。そう、12月といえば契約更改交渉の本番。11月は若手や二軍選手を中心におこなわれる契約更改も、12月に入るといよいよ主力選手が登場。クリスマス前には大幅アップで更改したその年の“顔”がサンタさんのコスプレでおどけるパフォーマンスが慣例となっている。特に毎年イヴの更改が恒例だったゴジラ松井のサンタ姿は印象深く、最初のうちは照れながらやっていたのが途中からノリノリでくす玉バズーカを打つのを見て「ああ、もうゴジラも十分大人になったな」と妙な感慨を受けたのが懐かしい。

 ちなみに中日は2013年オフから落合GMの意向で他球団よりも前倒しで全選手の更改を終わらせるのが定着し、今でもそれは続いている。選手にとっても球団にとっても早く給料が確定した方が都合が良いのだろうが、他にそれといったネタの無い12月の方がファンも楽しめるはず。球団関係者にはぜひご一考頂きたい。

 

1994年12月1日、立浪が大台突破

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▲立浪は7年目にして1億円プレーヤーに

 

 ちょうど25年前の今日、若きプリンスが入団7年目にして大台を突破した。交渉時間、わずか10分。提示額を見るなり「はい、これで結構です」とポケットからハンコを取り出してサインした。9700万円から19%増の1億2000万円。球団3人目の“1億円プレーヤー”になった25歳の生え抜きスターは満面の笑みで会見場に現れた。「夏までの成績なら間違いなくダウン。最後頑張ったところを評価してもらったんでしょう」。

 7年目のシーズンは決して楽な道のりではなかった。開幕から先頭打者を任され、4月こそ月間打率.329とスタートダッシュに成功するも、5月に入ると調子を落とし、8月まで4ヵ月連続で月間打率2割台に沈むなど不振にあえいだ。それでもラスト20試合を残して迎えた9月に入ると再びエンジン点火し、最後は奇跡の「10.8決戦」へと持ち込む原動力となった。

 最終成績は試合129、打率.274、本塁打10。決して飛びぬけた数字ではないが、今後の期待料と、世紀の一戦での執念のヘッドスライディングを評価した“気迫料”が含まれているのは明らかだ。「来年は打たなければだめ。そういう給料をもらっているんですからね」。その言葉どおり、立浪は翌シーズンに5年ぶりの規定3割をマークすると、さらにその次シーズンには全130試合に出場してキャリアハイとなる打率.323を記録。有言実行で名実ともに一流選手の仲間入りを果たした。

 余談だが1億円プレーヤーとなったこの年、立浪は名古屋市内に百三十坪の土地を購入。建築家・黒川紀章氏の設計で豪邸を建てることも決まっており、当時の中日スポーツはご丁寧に「ローン25年」という細かすぎる情報まで載せている。繰りあげ返済していなければ来年にも完済する計算だが、それにしても今昔の個人情報の取り扱いの差には隔世の感を禁じ得ない。こういう情報に出くわすのも歴史研究の醍醐味である。

 

 

今世の背番号3はようやく6千万円

 

 立浪と同じくらい期待されて入団した現在の背番号3・高橋周平は高卒8年目のシーズンを終えて今オフ、ようやく年俸6000万円に到達した。一時期の伸び悩みを思えばここまで来ただけでも感慨ひとしおだが、今よりも上がり幅が緩やかだった25年前に立浪が7年目で大台に到達したことを考えれば、そのペースはまだ物足りない。

 今季は途中離脱こそあったものの、ベストナインとGG賞をダブル受賞するなどブレークのシーズンになった。だが、まだまだこんなもんじゃない。やがては先代に追いつき追い越し、目指すはミスタードラゴンズ襲名だ。

 

露骨なツッコミどころは敢えて触れない方がいいのか?

立浪の次の背番号3は高橋だが、なにか問題でも?