ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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祖父江の保留問題を考える

 祖父江大輔の契約更改が波紋を呼んでいる。

 12日、全選手の先陣を切って交渉に臨んだ祖父江は40分の話し合いの末に保留。記者の待つ会見場にも姿を現さず、球団を通して「自分の中で気持ちの整理ができなかった」とコメントだけ発表した。

 これに対して加藤宏幸球団代表は「お互い、考えに相違があった」と回答。これだけなら例年見慣れた契約更改の風景だが、ここからが余計だった。

 加藤球団代表は「彼はここ3年ぐらいの継続的な登板数を評価して欲しいということ」と祖父江の意見を明かしたうえで、「評価はするが、反映ポイントにない。それ(継続的な登板数)を評価して欲しいなら、早くFAを取ってくださいというのうがこちらの主張」と、あくまで譲歩する意思がないことを強調したのだ。

 この発言が火種となり、SNS上はたちまち炎上。祖父江に同情的な論調が広がる中、プロツイッタラー兼YouTuberのダルビッシュ有氏もこれに賛同し、滅多に話題になることがない中日が「お前」騒動以来、久々に全国区の注目を集める事態へと発展している

 

ダルビッシュが祖父江の契約更改を語る違和感ときたら

それにしてもネガティブな話題でしか注目されないのか、我が軍は

 

怒りの保留に歴史あり

 

 査定方法が厳格かつ緻密になった今でこそほとんどの選手が一発サインするようになったが、ひと昔前までは契約更改の荒れっぷりがオフの風物詩と言われるほど、各球団で“怒りの保留”が頻発していた。

 祖父江の妥当な金額についての考察は他に譲り、本ブログでは歴史研究家らしく過去の主な荒れた契約更改を振り返っていこうと思う。

 

武田一浩(1991年)

 のちに中日にFA移籍する日ハム・武田一浩は前年からチーム事情でリリーフに回り、特にこの年は41試合64.2回18セーブの好成績を収めて最優秀救援投手のタイトルを獲得するなど活躍した。

 だが提示された金額は本人の想定を大きく下回り、激怒した武田は会見場に入るやいなや「ほんと頭くる!」と吼えると、憮然とした表情で「何もありません」と一言。「2年抑えをやって、あんだけしか上がらないんだったら、もうリリーフなんかやる価値ない」と吐き捨てた。

 この後も毎年のように契約更改で揉めるなど強気な性格が仇となり、首脳陣と険悪になった結果、1995年オフにトレードでダイエーに放出された。

 

落合博満(1990年)

 こちらも「ミスター保留」こと落合博満が最も揉めたのが1990年オフだった。131試合.290 34本 102打点という堂々たる成績で二冠を獲得した落合に対し、球団側の提示は4千万アップの2億2千万円。

 12月27日に行われた初交渉が物別れに終わると、年明け早々に落合は家族同伴で米国へ自主トレに出発。2度目の交渉が行われたのはキャンプ真っ只中の2月13日だった。

 しかしここでも話し合いは平行線に終わると、落合は希望金額が2億7千万円であることを公表。そして川島広守セ・リーグ会長に調停を申し入れると発言し、15日に正式に文書で依頼した。

 金額の根拠は、巨人・クロマティがこの年までもらっていた3億円という年俸だった。「クロマティに比べて、自分は決して遜色のない働きをしているのだから、2億7千万円は法外な要求だとは思わない。2億7千万円は(前年の金額から)50%増しで出した数字。俺はこれだけの価値で自分を売りたいと思っている」。

 調停の結果、球団側が提示した2億2千万円で決着をみた。

 

井上一樹(1998年)

 「プロ野球選手は保留してこそ一人前」。先輩たちの一歩も引かぬ喧嘩を見てきた後輩たちは、いつしか保留という行為そのものに憧れを持つようになっていた。

 1998年の井上一樹は107試合.264 9本の成績を収め、入団9年目にしてブレイクを果たした(ちょうど今季の阿部寿樹のような立ち位置か)。

 契約更改では1,360万円アップの3,200万円を提示されるも、「金額には納得している。でも僕はプロになってから一度も保留したことがないので、 一度やってみたかった」と保留。2度目の交渉では同額でサインした。

 

祖父江問題はとりあえず静観

 

 その後もプロ野球選手の年俸はインフレの一途を辿り、契約更改を巡るバトルも激化していった。特に中日は黄金期を迎えたこともあり選手側の要求も過激化。福留孝介川上憲伸井端弘和の3名による仁義なき戦い及び名言の数々は今なお語り草となっている(あまりに有名なので、敢えて割愛する)。

 

 久々に波乱を予感させる祖父江の保留問題。昔のように「机をバンっ!と叩けば上積みされる」(山崎武司談)時代でもないが、ここまで波紋が広がれば球団も何らかの対応をせざるを得ないだろう。

 もし2013年の井端のように、自由契約で他球団に高額で移籍という前例を作ってしまえば次から次へと退団希望者が続出し、球団経営の根幹を揺るがす大騒動に発展しかねないだけに、なんとか穏やかな解決を望みたいところだ。

 

【参考資料】

https://www.nikkansports.com/baseball/news/201812120000767.html

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/11/12/kiji/20191112s00001173333000c.html

http://sorepena.sakura.ne.jp/_001/backnumber/s2004/off2004/topic_0411.html

中日スポーツ 1991年3月1日付