ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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温厚ナベさん現場復帰

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   仁村徹が15年ぶりに中日のユニフォームに袖を通すことが決まった。仁村といえば星野仕込みの鉄拳制裁で知られるが、監督が選手を平手打ちしただけで大問題になるご時世だ。昔と同じやり方は通用しない。

   30日にナゴヤ球場で行われた就任会見でも仁村はこの件に触れ、「練習は厳しくしますが、接し方はこの時代に合わせたやり方をしようと思う」と“鉄拳封印”を誓った。そうは言うものの、未だに一部の高校や大学の運動部では体罰が恒常的に行われている現実がある。それは星野を代表とした野球界の体罰が美談として語られてきたことも無関係ではないだろう。

   時代は変わったというが、完全な体罰根絶にはまたまだ時間がかかりそうだ。特に体罰を一種のショーとして看過してきたプロ野球は罪が重い。だからこそ体罰が無くても選手は育つということを率先して証明し、体罰根絶に尽力する責務がプロ野球にはある。かつてミニ星野と呼ばれた暴君が2020年の時代にどのような指導を行い、どのような成果を出すのか。注目してみようではないか。

 

温厚ナベさん、現場復帰

 

   仁村の二軍監督就任と同時に渡辺博幸の内野守備走塁コーチ就任と、武山真吾のバッテリーコーチ就任が発表された。

   一昨年まで二軍内野守備走塁コーチを務めた渡辺は、今季11年ぶりの裏方業務となるスコアラーに従事したが、わずか1年での現場復帰となる。裏を返せばそれだけ人望が厚いということ。激情家の仁村とは正反対の温厚で心優しい男は、若手にとっては良き相談役として、ベテランにとっては頼もしい指導者として、現役時代さながらの“縁の下の力持ち”となって与田政権を支える。

 

渡辺、温厚すぎてダメ出しされる

   ガツガツした人間の多い野球界にあって、渡辺の温厚さは目を引くものがあるのだろう。癒しキャラとして知られる渡辺だが、ある日の試合ではその温厚さが仇となった。

   1999年6月1日、巨人戦のことである。1点差を追う6回裏、無死満塁と一気に逆転のチャンスをつかんだところで事件は起こった。打席の渡辺は青息吐息の西山一宇が投じた初球に手を出すと、打球は渡辺の足に当たってから前へ転がったように見えた。もし足に当たっていれば、もちろんファウルだが、球審橘高の判定はフェアだった。村田真一が捕球し、本塁を踏んで一塁へ送球されて併殺。

   ベンチから血気盛んな星野監督が鬼の形相で飛び出し、球審に食ってかかる。だがリクエスト制度のある今とは違い、審判の判定は(例え間違いが明らかでも)絶対の時代だ。当然覆るわけもなく、1点差での悔しすぎる惜敗を喫したのだった。

   翌朝の中日スポーツの一面には、打球が渡辺の左足に当たり、跳ね返った瞬間を捉えた写真が掲載された。誰がどう見てもファウル。それでも判定は判定だ。この日、紙上評論を担当した彦野利勝氏は渡辺の温厚さに不服を漏らした。

 

    この場面、(中略)打者が絶対有利、慌てることは一つもなかった。しかし、渡辺はいきなり初球を構え遅れたまま、飛びつくように打ちにいってしまった。それも一番手を出すべきではない内角高めの直球を。なぜもっとゆっくり構え、打ちやすい球がくるのを待たなかったのか。

   自打球が足に当たったか当たらないかの問題については、アピールが遅かった。もし当たったという確信があるなら1,2歩を走る前に機敏にアピールしなければならない。おっとりした性格が大事なところで出た気がする

   「打撃」も「アピール」も結果的に経験不足が原因だ。もっともっと野球を勉強してほしい。

(1999年6月2日付 中日スポーツ「ワンポイント」より

 

当時の中日は星野を筆頭に“おっとり”とは真逆のチームだったから、渡辺の温厚さは異質だったろうね

なおこの試合後、渡辺が星野の壮絶な説教を受けたであろうことは想像に難くない