ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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ロドリゲス去就問題で考える打倒巨人の終焉

日本シリーズの閉幕は、同時にストーブリーグの開幕を意味する。諸々の情報が解禁になる今日、さっそく中日にとっては見たくなかった“あの件”がスポーツ紙を賑わせた。

 

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分かっちゃいたが、いざ記事として見せられると落胆も大きい。巨人の「マネーゲームを辞さず」が「何がなんでも獲る」と同義であることはプロ野球ファンなら誰もが知るところ。大金を積むだけで最優秀中継ぎ投手の栄冠を手にした同一リーグ最強のリリーバーが獲れるならば、手を出すなという方がムリな話だ。

それより気になったのは中スポ一面のインデックスに書かれた、この表現だ。

“巨人 ロドリゲス強奪か”

大金を積んで他球団の主力選手を獲得することを、ファンの間では皮肉を込めて“強奪”と表現するが、それはあくまで隠語のようなもの。ルールに従った正当な条件提示である以上、少なくともオフィシャルには強奪という言葉は慎むべきである。

中日も既に9月の時点で大幅な年俸アップと複数年契約を提示したそうだが、ビジネスライクな外国人が少しでも条件の良い方を優先するのは分かりきっていること。「マネーゲームはしない」と戦う前から白旗を上げ、同一リーグの他球団に獲られるのを指をくわえて眺めながら「強奪だ」と拗ねるのが、果たして誠意と言えるだろうか。

中日の総年俸は、2013年の33.7億円をピークに緊縮財政や7年連続Bクラスの影響で、今年度は12球団中11位の23億円にまで下落。直近5年間で10億円超の大幅なコストカットをしておいて「無い袖は振れない」は通じまい。

当のロドリゲスは帰国時、中日への愛着と残留の意志を口にしながらも「自分としてはメジャーに戻りたい気持ちはある」と本音も漏らしている。最大限の誠意を示したうえで、それでも夢を優先するなら仕方ない。だが国内球団への流出は絶対に阻止せねばならない。ロドリゲスの去就問題は、中日球団の優勝に対する本気度が問われている

 

打倒巨人の歴史も今は昔か

 

もともと中日は新聞社のライバルにもあたる巨人に対し、過剰なまでの対抗心を燃やしてきた歴史がある。

古くは水原茂、与那嶺要といった巨人育ちの人間を自軍の監督に登用し、1974年には与那嶺監督の指揮のもとV10を阻止。巨人最強時代に終焉をもたらした。さらに1986年オフには青年監督・星野仙一が辣腕を振るい、巨人への移籍が内定していた落合博満の逆転獲得に成功。後年、星野はこのトレードについて、原、駒田らの成長で強豪復活の兆しをみせていた巨人にだけは落合を渡してはならないという執念がモチベーションになったことを明かしている。

その後も松井秀喜(星稜)、清原和博、福留孝介(日本生命)、工藤公康、江藤智、ペタジーニなど巨人が獲得を試みる選手とあらばダメ元で特攻し続け、そのほとんどで惨敗を喫した。しかし東京の絶対王者に対してボロボロになりながら食ってかかるその姿勢は、地方都市・名古屋の民衆の心を強く打つと同時に、いつしか“打倒巨人”は中日のアイデンティティのようにもなっていた。

 

ところが、潮目が変わったのが2006年だった。もっと正確に記すならば、2006年11月10日。この日付を見てもピンと来る方はまずいないだろう。今なお語り継がれる東京ドームでの劇的なリーグ制覇からちょうど1ヶ月後のこの日、中日は静かに、だが確実に低迷の道へと足を踏み入れた。

 

中日が補強をあきらめた日

 

この日の中日スポーツ一面を飾ったのは、落合監督と白井オーナーのツーショットだ。親密そうに会話する両者。見出しは「小笠原獲り 急ぐな」

秋季キャンプの視察に訪れた白井は落合との1時間にわたる密談を終えると、FA宣言した日本ハム・小笠原道大について、報道陣を前に饒舌に自身の考えを語った。以下、記事を引用する。

 

オーナー 一問一答

ーオーナーの考えは?

「(わたしは)よく分からない。フロントと監督の考えをよく突き合わしてみないと結論を出さないだろう。まだ十分、煮詰まってないんじゃないのかな」

ー落合監督は欲しいと考えているでしょうが

「現場はだいたい、欲しいって言うんじゃないのか。だが、欲しいの度合いがある。(中略)ボクが獲れとか獲らないとかは言わないよ。そんなことをするとあれもいいじゃないか、これもいいじゃないかとなってしまう。チームの編成というものがあるからね」

ー小笠原獲得には巨額の資金が必要ですが?

「らしいな。大がかりな金を出す余裕はない。ヤンキースとは違うんだ。(中日は)常識的な球団だから。そういう考えは首尾一貫してる」

ーチーム内のバランスも考慮する必要が?

「そりゃそうだろう。落合監督が強く要請してきて、その上での話だ。まあ、落合監督は強い要請をしないんだけど(後略)」

 

実は当時、小笠原は師と仰ぐ落合のいる中日入りが濃厚との見方が大勢を占めていた。落合も獲得意思を示し、入団発表は時間の問題とさえ言われていたのだ。しかし、ここで待ったをかけたのが白井だったわけだ。

白井は4年20億超の大型契約を結んだ当時の主砲・ウッズにも触れ、「あれは球団がやった(入団させたという意味)んじゃなかったかな。(今後)社長、(球団)代表が苦労するわけですな」と暗に財政逼迫の要因になっていることを匂わせた。

結局白井からの実質的なNG通告を受けた中日は小笠原獲りを断念。当初から積極的にアプローチしていた巨人に入団し、4年連続3割30本を記録するなどFA選手史上最高の働きとも讃えられる大活躍でチーム3連覇に貢献したのだった。

中日がみすみす獲れる戦力を見過ごし、憎っくき巨人に献上するなど従来では考えられないことである。だが、そうせざるを得ないほど中日球団の財政状況は悪化の一途を辿っていたのだ。

 

ここからしばらく黄金期は続くけど、既に土台はグラつき始めてたんだね

今となっては信じられないが、この頃まで中日は金持ち球団の一角を担ってたんだ。今回紹介した中スポは、その終焉の瞬間を捉えた貴重な紙面と言えるかもしれない

 

2006年11月10日。この日をもって中日の打倒巨人の歴史は終わった。そして同時にそれは貧乏球団としての苦難の歴史の始まりだったのかもしれないーー。