ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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藤嶋の笑顔

●2-5(54勝64敗2分)

 

下位打線に連打を浴びて先制を許すもその後は立ち直ってQSを記録する柳、打線が繋がって追いつくも追い越すまではいかずに延長戦で力尽くなど、8月最後の試合はちょうど一週間前の広島戦のデジャブのような展開で競り負け、五分としていた月間成績も結局11勝12敗と与田政権初の勝ち越しとはならなかった。

ただ例年苦戦する8月を、相次ぐ怪我人の発生にもかかわらず最小限のダメージで乗り切ったのは素直に地力が付いてきたと評価してもいいのかもしれない。残り23試合。4位までのゲーム差3.0。さらに3位となると6.0差離れており、7年ぶりのAクラス入りは限りなく絶望的な状況となっているが、まだ可能性がゼロになったわけではない。巷ではなにやら鳥がどうのこうこと騒がしいようだが、当ブログではあくまでもAクラス入りを当座の目標と捉えた上でストーブリーグ関連の話題は脇に置き、与田ドラゴンズの戦いを全力で応援したいと思う。

 

藤嶋、22試合目にして初失点

 

藤嶋が打たれた。10回表、あまりにも簡単に二死を取って油断したわけではないだろうが、ワンボールから置きに行ったような真ん中のストレートを太田に打たれ出塁を許すと、打順はできれば回したくなかった青木、そして山田へと続き、嫌な予感は最悪の形で現実のものとなった。

もちろん藤嶋を責める気などこれぽっちもない。たしかに山田に対してスライダーを3球続けた配球は軽率かもしれないが、そんじょそこらの打者ならともかく、相手は泣く子も黙る山田である。ちょっとやそっと気をつけたくらいでどうにか出来る打者でもなし、ナゴヤドームの広さを物ともせず、あの場面であの結果を出せる山田の凄まじさに感服するほかあるまい。

印象的だったのはボールが吸い込まれていったレフトスタンドを見つめる藤嶋の表情だ。22試合目にして初めて、しかも致命的な失点を許した藤嶋は、ほんの一瞬だけとても爽やかな笑顔を浮かべたのだ。色々な感情が入り混じっていたのだろう。投げ損ねたわけでもないのに完璧に打った稀代の大打者への畏怖の念、そして記録が途切れたことへの脱力感……。そういえば藤嶋が尊敬してやまない上原浩治もよく「あちゃー」といった感じで打たれたあとにグラブを腰に当てながら笑顔を浮かべていたのを思い出した。

そしてもうひとつ、ドラゴンズの歴史を語る上で忘れてはいけないのは2007年9月14日の阪神戦の9回表、二死二、三塁で訪れた藤川球児とタイロン・ウッズによるタイマン勝負だ。この日、7回に久保田から一時逆転となる2ランホームランを放っていたウッズだが、藤川は敬遠せず勝負を選択した。それもストレート一本で。フルカウントとなり3球ファウルで粘ったあとの10球目。高めへの154キロもやはりファウル。このときウッズは一旦打席を外し、ゆっくりと素振りをしながら不敵な笑みを浮かべたのだ。

そして決着は11球目。真ん中への渾身のストレートを素直に弾き返した打球はセンター前へと転がり、勝ち越しの2点タイムリーとなった。すると今度は藤川が、笑った。優勝争いの真っ只中、痛恨の一打を浴びた投手が笑みをこぼすなど見たことがない。だが当時、球界で敵なしだった四番打者と最強クローザーは、ようやく見つけた真のライバルとの10分間にも及ぶ二人だけの世界に陶酔し、心底勝負を楽しんだのだ。

まるで野球小僧に還ったような二人の笑顔は野球本来の楽しさを思い出させてくれる名場面として今でも語り草となっている。もちろん今の藤嶋は当時の藤川の足元にも及ばぬひよっ子だが、今日マウンド上でみせた笑顔はとても清々しく前向きな意思を感じた。試合後のコメントもいい。「今日は弱い部分が出てしまったけど、次はもっと攻めていけるように、強い部分を出せるように頑張りたい」

打たれてもなお希望を与えてくれる。やっぱり私は藤嶋が大好きだ。