ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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二桁勝利の壁

△3-3(46勝55敗1分)

 

柳の二桁勝利チャレンジは4度目もまた失敗に終わった。後半戦いまだ勝ち星なし。投げれば勝っていた前半戦が嘘のように勝ち運から見放されている。原因は主にふたつ。相手先発が好投手のため味方が点を取れない事と、早い回でホームランを浴びる柳自身の踏ん張りのなさである。

4度のうち、平良が2度で菅野が1度。唯一格下が相手だった2日のヤクルト戦では後者のパターンにはまって勝ち星を逃した。怒涛の前半戦からオールスター出場を挟んで休む間も無く後半戦に突入だから、疲れも溜まっているのだろう。

 

キャリア初の二桁勝利を目前にしながら足踏みした例といえば1989年の山本昌が思い浮かぶ。前年に大ブレークを果たし、優勝にも貢献した山本昌は、この年開幕からローテを任されオールスター時点で7勝とまずまずの成績を収めてシーズンを折り返した。8月8日には大洋を下して8勝目、さらに26日の巨人戦では水野雄仁との投げ合いを制して9勝目を挙げ、初の二桁勝利にリーチをかける。残り33試合。中5日が当たり前の時代、誰もがその達成を疑わなかったが、ここからまさかの苦しみが始まる。

内容も過酷だった。9月8日の広島戦は6回1失点に抑えながら援護に恵まれず敗戦。かと思えば23日の阪神戦では4点の援護をもらいながら8回につかまり逆転負け。イニングの途中で郭源治や鹿島忠に代えていれば勝てたのかもしれないが、闘将星野はそれを許さなかった。敢えて試練を与え、それを乗り越えられなかった山本昌は結局この日を最後に19試合を残しながら二度と登板の機会を与えられず、最終成績9勝9敗でシーズンを終えたのだった。

 

この試合のあと、ベンチ裏で何が行われたのかはご想像にお任せしよう

 

この試合の捕手はもちろん中村武志。もうお分かりだろう(ガクブル

 

苦しみの先に

 

柳も決して悪いわけではなく、直近4登板もヤクルト戦以外の3度はQSを達成しており、いつ勝ちが付いてもおかしくない投球はできている。ただ、不用意な一発を食らうシーンが目立つのはやはり二桁勝利のプレッシャーによるものなのだろうか。こればかりは経験したことのある者にしか分からない感覚だが、二桁を目前にして足踏みする投手が珍しくないことからも、やはりそれが投手にとって特別な意味を持つのは間違いなさそうだ。

いつか勝てるだろう、と思っていても意外と届かないのが二桁勝利というもの。ちょうど30年前、のちに200勝を挙げる大投手も同じ壁に苦しみ、大きな挫折を味わったのだ。これがエースになるための試練なのだとしたら柳はもっと苦しんでもっと強くなればいい。

ちなみに1990年、山本昌は前年の挫折を糧にして10勝を収め、結局キャリア32年間で10度もの二桁勝利を記録した。柳裕也3年目。この苦しみを乗り越えた先にはまだまだ無限の未来が広がっている。