ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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撃沈

●4-11(41勝49敗)

 

今年のドラゴンズが一発の多いチームにとことん苦戦しているのは周知のとおり。ナゴヤドームと一発の少ない阪神戦とのコンボでいくら連勝しても、ビジターの巨人戦とDeNA戦、そして広島戦に当たるたびに勢いを削がれて結局借金の沼にハマっていく姿にいい加減飽きてきた方も少なくないだろう。

おととい、悪夢の逆転負けを喫した試合にしても、9回二死でまさか同点ホームランなんか出るわけないだろうと多くのファンは高を括っていたはずだ。またその前日のDeNA戦も、まさか満塁で4番ロペスがグランドスラムなんてそううまく事が運ぶわけがなかろう--という淡い期待はいずれも最悪な形で裏切られるわけだが、なぜドラゴンズばかりがこんな目に遭うのかを考えてみると意外と答えは簡単だったりする。

 

ドラゴンズのチーム被本塁打数は昨日までの時点で92。これはセ・リーグワースト3位の本数で、自責点326もやはりワースト3位、しかし失点は堅固な守備陣の恩恵もありリーグ最少の341と、決してドラゴンズが特別いつもボコボコにやられているわけではないことが分かる。他のチームも同じようにホームランを打たれているのだ。

それなのに、ここぞで打たれるホームランが致命傷のように効いてしまうのは、ドラゴンズだけが他球団と比較してあまりにホームランを打つ可能性が低すぎるがゆえにホームランという物への耐性が低く、一発の重みをズシンと受け止めてしまうからなのではないだろうか。少なくともドラゴンズの打者がここぞで満塁ホームランを打てるとは到底思えないし、9回ツーアウトから一発で同点に追いつく場面で本当にホームランが飛び出すなんて、口では「ホームラン、ホームラン◯◯」と叫んでいても、本心ではこれっぽっちも期待していない。だが他球団は違う。ここぞで一発が出て欲しいという願いが何回に一回かは成就するのだ、普通は。

 

普通じゃない環境に慣れすぎたせいで、誰もホームランそのものを狙わなくなってしまったんだね

 

壮絶な環境で生まれ育った子供が、当たり前の幸せが何なのか分からなくて苦しむようにな

 

ホームランが見たいんだ

 

今日の試合も効果的に(ドラゴンズにとっては致命的に)飛び出した3発のホームランによって負けてしまったわけだが、カープファンの観客はホームランが見られてさぞかし嬉しかったことだろう。

私も子供の頃、三重県から電車を乗り継いでナゴヤ球場に連れて行ってもらったことが何度かあるが、やはり記憶に残っているのはホームラン。大豊や山崎、コールズ、中村といった面々が空高く飛ばすホームランはとても格好良くて、今でもスタンドの青い長椅子に「バキッ!」と突き刺さったシーンは鮮明に覚えている。また相手の攻撃でも覚えているのはやはりホームラン。池山の満塁ホームランは敵ながら興奮したし、1998年のオールスターゲームでゴジラ松井がナゴヤドームの5階席にぶち当てたホームランの弾道は生涯忘れることがないだろう。薄れゆく記憶のなかで、細かい試合展開は忘れてもホームランの印象だけはなぜか消えないもの。やはり野球においてホームランは唯一無二の“華”なのだ。

 

ナゴヤドーム開場から22年が経った。その特性を生かした守り勝つ野球を突き詰めて黄金期を築いたのも確かだが、当時から「勝っていても地味だ」「つまらない」と揶揄されることが多かったのも事実だ。勝てなくなって客足が遠のくのはある意味で当然のことなのだろう。7月13日に放送されたCBCの「スポ音」ではホームランテラスの是非を問うてファンの間でも賛否が真っ二つに分かれていることが明らかになった。私のように両手をあげての賛成が決して多数派というわけでもなく、さまざまな意見が飛び交うのはごく自然なことだ。

だが、それにしても。8月を迎えようとしているこの時期にチーム最多ホームランが11本(ビシエド)というのはあまりに寂しすぎやしないか。タイロンのような規格外の化け物を獲ってこられればいいが、当時のような財力は今の中日球団にはもうない。

待っていてもどうしようもならない現状、そろそろ人工的な方法で解決を図ってもバチは当たらないのではないか。今後も私はこのブログでホームランテラス設置推進の意見を発信していきたいと思う。

 

そもそも「守り勝つ野球」なんて高尚なテーマを掲げて造った球場じゃないからね

 

東京ドームが羨ましくて仕方なかったバブル脳の名古屋ゼネコンが「東京には負けるわけにいかんわ。日本一広いドーム球場を名古屋に作らないかんがね!」つって観客のことなんか一切度外視して建設した、いわば見栄っ張りな名古屋人のエゴの塊みたいな建物だからな