ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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耄碌したな、吉見

●6-7x(33勝41敗)

 

誰もが年をとる。年をとると身体能力はもとより判断力も瞬発力も落ちる。老いは誰もに平等に訪れる。だから人はそれに必死で抗おうともがき、できるだけ若くあろうと努力する。それでも止まる事なく侵食してくるのが老いであり、やがて人は限界を悟って老いを受け入れる。古代ローマの政治家・サルスティウスは言う。“あらゆる昇るものは沈み、あらゆる成長には老いがある”と。

 

かつて吉見一起は巨人キラーと呼ばれた。2010年に巨人の4連覇を止めたのは、あるいは吉見だとも言えるかもしれない。この年、3位巨人との最終ゲーム差は1.0。シーズン12勝のうち実に5勝を巨人からあげたエース吉見の尽力なくしてドラゴンズの優勝はあり得なかった。当時、原監督が試合後インタビューで歯を食いしばりながら「吉見という投手を打たなければ優勝はない」と攻略を誓っていたのをよく覚えている。吉見が巨人戦のマウンドに立てば、ドラゴンズファンは勝利を確信する。そんな時代がほんの8,9年前には確かに存在したのだ。

 

吉見、今日は人生をかけず

 

その時代を知っている人間からすると、今日の吉見の投球は見るに耐えないものがあった。当たり前のように先頭を出し、当たり前のように援護点をふいにする。昔の吉見なら絶対に犯さないようなミスだ。

昨今、高齢ドライバーによる交通事故が問題となっているが、頑なにハンドルを離したがらない高齢者は自分の運転技術が衰えているという事実を認めたくなくて抵抗するのだという。老いへの抵抗は、時として周囲に迷惑をかけてしまう。大事な9連戦の2試合目を託され、2回0/3でマウンドを降りて後輩に尻拭いをさせた吉見は、果たして先発という免許を保持するに相応しい投手なのだろうか。

「人生をかけてマウンドに上がった」と、憧れの金子千尋との直接対決を制して今季初勝利をあげた前回登板のあとに吉見はそう語った。では今回はどうだったのか。前回好投したから今回は人生を懸けるほどの気合は入らなかったのだろうか。言葉尻を捉える趣味はないが、そんな嫌味も言いたくなるような無残な投球だった。35歳。一般的には働き盛りと言われる年齢だが、プロ野球選手ならそろそろ免許返納してもいい頃合いだ。

 

思い入れが邪魔をする

 

とは言え、やはり全盛期の吉見を知っていれば、そう簡単に突き放せないのもファンの人情。タイムラインを見ていても10代の若いファンが容赦ない辛辣な言葉を使っている一方、かつての吉見を知る大人のファンは失望のなかにも同情を交えたツイートが散見された。気持ちは非常によく分かる。

思い入れがなければ、確かに今の吉見はたまに投げては試合を壊すか、良くても5回そこそこで降板する迷惑なおじさんでしかない。私なんかがいくら口角泡を吹きながら「昔の吉見は針の穴を通すコントロールで〜」などと説明しても知ったこっちゃないだろう。

だが、幸か不幸か私は吉見に思い入れがある。今よりもっと強力だった巨人打線を手玉に取る姿が忘れられない。だから失望はするけど嫌いにはなれない。でも吉見よ、あんまりこんな投球ばかりしているとさすがに嫌いになってしまうぞ。

 

絶賛爆発炎上中のヤマサキも思い入れが邪魔して叩くに叩けないよね

 

あれはまあ、叩いていいぞ