ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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2つの隙

●7-8x(27勝36敗)

 

9回裏を迎えるまでは、まさか負け試合について書かなければいけないとは思っていなかったので、さすがに精神的なダメージは大きい。だが、これが現実。「田島が悪い、加藤が悪い、巡り巡って朝倉が悪い」。こんな風に悪者を作って糾弾するのは簡単だが、それだけじゃ意味がない。

なぜこんな悪夢を一度や二度に留まらず、何度も何度も味わわなければならないのか。ファンも選手も、もちろん首脳陣も、あらためて真剣に考える契機にするべきだ。

 

弱小球団が見せた2つの“隙”

 

9回裏の悲劇に関してはデータを見返せば一目瞭然。レアードの打席で田島のスプリットを後逸して以降、加藤の配球が極端に高めに集中していた事が分かる。特に1点差となった一、三塁での荻野の打席では9球すべてが真ん中より高め。

つまり打たれる事よりも暴投を怖がっていたのが明らかで、加藤は打者ではなく自分自身と戦っていた事になる。誰よりも冷静かつ強気でなくてはならない捕手がこれではどうしようもない。そういう意味では加藤の責任は重いと言わざるを得ないが、ベテラン捕手を2人も残していながら加藤に賭けたベンチの責任はもっと重い。

15日放送のCBCラジオ「スポ音」内で流れた中村武志コーチのインタビューによれば、基本的には育成のために加藤を使いつつも“今日は何としても勝ちたい”という時は松井雅や武山にマスクを任せるのだという。では今日の9回、後逸を恐れるあまり低めを要求できなくなっている加藤にそのまま試合を預けたのは果たして正解と言えるのだろうか。それこそ“何としても勝ちたい”という場面では無かったのか。これがまずひとつめの“隙”。

ふたつめは、今日CBCラジオの解説を務めていた落合博満氏が指摘していた通りだ。

 

9回裏の6点に目が行くんだけども、なぜ9回表に(大島ヒットのあとの)亀澤に送らせなかったのか。結果0点でも打てる手を打つべきだった。取れる点は取りましょう、防ぐ点は防ぎましょうというのが野球の原点ですから。

落合博満

 

真理だと思った。ビシエドを早々と下げたのはセオリー通りだとしても、先頭が出塁したにも関わらず非力な亀澤に打たせてみすみすアウトを献上したのは油断と言われても仕方ない。というか、実際油断したのだろう。もし僅差のリードならもっと貪欲に追加点を狙いに行ったはずだ。「今さら8点目を取ったところで、ねぇ」という“隙”。常勝チームならともかく、大逆転負けを直近で何度も経験しているチームにセーフティリードなど存在しないのだ。

ゲームセットの瞬間まで気を緩めず打てる手は打つ。それを“野球の原点”と表現した落合氏はさすがだし、ドラゴンズの低迷の原因そのものを見透かされた気がした。弱いくせに2つも“隙”をみせたドラゴンズがこういう負け方をするのは決して意外でもなんでもなく必然だったのかも知れない。