ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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ある日のドラゴンズ⑩宇野、華麗なる美技で猛虎狩り!

 日常から野球が消えて早数ヶ月。本来なら一喜一憂に身悶えつつも幸せな日々を過ごしているはずのゴールデンウィークなのに、社会はすっかり非日常に支配されてしまった。いつ終わるとも知れない未知なる敵との戦いにいい加減うんざりしている方も少なくないだろう。

 というわけで当ブログでは、少しでも読者の皆様に“日常”を感じて頂きたく、過去の中日ドラゴンズの試合の中からランダムにピックアップした1試合に焦点を当てて振り返ってみたいと思う。

 題して「ある日のドラゴンズ」。誰も憶えていない、なんなら選手本人も憶えていないような、メモリアルでもなんでもない「ある日」の試合を通して、日常の尊さを噛みしめようではないか。

 

1985年4月20日vs阪神1回戦

 

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▲中日スポーツ(1985年4月21日付1面)

 

 投げては郭源治が1失点完投、打っては主砲モッカの逆転3ランが飛び出して今季最初の阪神戦に快勝した山内ドラゴンズだが、翌朝の中日スポーツ1面を飾ったのはショート宇野勝の華麗なジャンピングキャッチを捉えた写真だった

 あまり知られていないが、宇野といえばこの年から阪神の指揮官に返り咲いた吉田義男監督とは師弟関係にあたる。前年の1984年、山内監督との縁で中日の春季キャンプの臨時守備コーチを務めたのが吉田。現役時代は“牛若丸”の異名をとった名ショートは、その技術を上川誠二や宇野といった内野手に惜しげもなく伝授したのである。
 その吉田はこの年から8年ぶりに古巣に復帰。敵となって再会した弟子の美技披露に、「うーん」と複雑な表情をするしかなかった。

 スコアレスで迎えた5回表2死一、二塁。ゲイルの当たりは半ライナーでショート後方にふらふらっと飛び、落ちればタイムリーになりそうな打球だったが、これを宇野が背走しながらジャンプ一番、間一髪でグラブの先に収めて危機脱出。ネクストが開幕から5試合で4ホーマーと当たりまくっている真弓明信とあって、マウンドの郭もホッと胸を撫で下ろしたことだろう。

 試合は6回表にバースの3試合連発の3号ソロで阪神が先制するも、その裏モッカが決勝点となる逆転3ランを放って快勝。この6日前、4月14日のヤクルト戦では痛恨のエラーを犯し、郭の白星を帳消しにしたモッカがこの日はお詫びとばかりに初勝利をプレゼント。「今日に期していた。この前のお返しは絶対に今日と思っていた」とはモッカ談である。

 エース格の郭の好投と主砲のひと振りで幸先よく初戦を制した中日だが、やはりこの年の阪神の強さは規格外だった。翌日は弘田澄男、真弓、掛布彰布、バースに3投手(都裕次郎、曽田康二、近藤満)がホームランを浴びて大敗。さらに3戦目、なんと前日とまるっきり同じ4人に今度は杉本正、牛島和彦が沈められ、2試合8被弾23失点の大炎上で負け越しに終わったのだった。

 ちなみに阪神はこの前のカードの巨人戦で伝説のバックスクリーン3連発を成し遂げたばかり。勢いそのままに中日も撃沈したというわけだ。開幕早々にして他球団が手も足も出ないほど猛威をふるった“猛虎打線”。その威力にはあらためて驚かされるばかりだ。

 

何しろ中日との3戦が終わった時点で8試合22ホーマーだからな

当時の強竜打線もなかなかの物だが、猛虎打線はまさに規格外だったんだ

 

「やれてよかった」あの珍プレー

 

 ところで宇野といえば野球ファンならずとも誰もが知っているあの珍プレーがあまりにも有名だが、意外にもその守備は上手かったといわれる。何しろ落合博満をして「一塁を守っていて一番やりやすかったショートは宇野」と言わしめるほど。落合の天邪鬼さを差し引いても、決してヘタなショートではなかったようだ。

 しかしあのプレーの印象が強すぎるあまり、宇野の好守備に関する証言や資料はほとんど残っておらず、今回ご紹介した中スポの紙面はその一端を知るうえで貴重なものと言えるだろう。

 近年、宇野以来となる坂本勇人の40ホーマー達成などで強打のショートとしての側面が再評価されつつあるのは喜ばしい限りだ。中日在籍中に放った334ホーマーは球団歴代最多、84年には本塁打王にも輝くなどその実績は紛れもなき超一流。にもかかわらず、宇野というと珍プレーでしか語られないことに本人もさぞや無念を感じているだろうと思いきや、85年に出版した著書「ヘディング男のハチャメチャ人生」を読んでそんな心配は吹き飛んでしまった。

 なにせこの本、冒頭からしてこんな調子だ。

 

 宇野です。マサルです。いくら叫んだって新聞広告をのせたって、きっとファンの皆さんには覚えて貰えまい。それがあの一件で、世間さまから「ウノだ!」「ウノさんだ!」。自分でも信じられないくらいのモテよう。

 その意味では、センさんには悪いことをしたけど、あのヘディングはボクの産みの親で、神様だ。結果的には、やれて本当に良かったと思っている。

「ヘディング男のハチャメチャ人生」(海越出版社・絶版)p13

 

 最近はユーチューバーとしても活動するなど、還暦を過ぎても破天荒なキャラクターは健在。今後もめずらしい宇野の好守備に関する資料を発見次第、ご紹介できればと思う。

 それではまた、ある日どこかで。

1985.4.20○中日3-1阪神