ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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シティポップと生え抜き正捕手

サカナクションが今月19日にリリースした6年ぶりのアルバム「834.194」をこのところヘビロテしながら過ごしている。リード曲「忘れられないの」のMVや音楽番組出演時の演出からも伝わる通り、今作は1980年代、当時の若者たちの心を鷲掴みにした“シティポップ”の色合いが濃厚に感じられる内容となっており、DISK1の7曲目「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」などはそのまま80年代のディスコで流しても違和感がないサウンドである。

今どき珍しい2枚組のオリジナルアルバムで、それぞれ僅か9曲という容量から考えても、おそらく収録時間が足りずに分割したというよりはレコードのA面とB面を意識した意図的な作りであろう事は容易に察しがつく。やはり今作は山口一郎流の、極めてセンスの優れたシティポップ・パロディなのだろう。

ところで近年サカナクションやSuchmosの登場で再ブームの兆候があるシティポップだが、そもそもの興隆は1970年代後半、山下達郎や大瀧詠一といった洋楽オールディーズに影響を受けた若者達の間で作られるようになった、モータウンやフュージョンに日本語詞を乗せた楽曲が始まりだと言われている。当時の邦楽はまだ歌謡曲と演歌が主流。いわば土着的で浪花節な世界にあって、都会的で乾いたサウンドは新しい若者たちの指針として大いに支持を集め、あっという間に時代の潮流を作っていった。ちょうどこの頃、いわゆる文壇とは距離を置く村上春樹が「風の歌を聞け」で作家デビューをしたのも、まさに時代の空気感を物語っている。

だが、どんなジャンルも一部のマニアから大衆へと人気が広がる過程で徐々に一般受けする形へと中和されていくもので、シティポップもまた例外ではなかった。80年代に入り、シティポップ風味の楽曲が多数ランクインするようになると、今度はそういった曲を専門に歌うアーティストが登場する。中でも人気を博したのが杉山清貴&オメガトライブだった。日テレの子会社・バップレコードのプロジェクトとして作為的に結成されたこのバンドは“夏” “リゾート”という分かりやすいテーマを打ち出した楽曲を次々と世に送り出し、日本航空「JALPAC'85」のCMソングにタイアップされた「ふたりの夏物語」はこの年の年間ランキングで第3位に輝く大ヒットとなった。

“流星にみちびかれ 出会いは夜のマリーナ
ルームナンバー 砂に書いて誘いをかけた
キールのグラスを ほほに当てて
ホンキ?と笑ったマーメイド”

これは「ふたりの夏物語」の冒頭の歌詞だが、ニヒルでいけすかない感じがビンビンに伝わると思う。この雰囲気に日本中の若者が憧れる一方、当時まだ開国していなかった名古屋人は「東京は女ひとり誘うのもめんどくせゃーていかんわ」と鼻で笑いながら「燃えよ!ドラゴンズ」を歌ってたとかなんとか。

ちなみにサカナクションが「忘れられないの」でパロディにしているのは山下達郎、大瀧詠一的な正統的なシティポップではなく、オメガトライブ的な歌謡シティポップの方だ。楽曲の質的には完全に前者寄りだが、ビジュアルイメージとして後者をパロディにする事でライトリスナーにも受け入れられやすくなっているのは実にいい塩梅。名誉ちうにちファンである山口一郎の絶妙なバランス感覚が冴え渡った一作。言うまでもなく「買い」である。

834.194 (通常盤[2CD])(応募抽選ハガキなし)

834.194 (通常盤[2CD])(応募抽選ハガキなし)

 

 

「昭和ボーイ」石橋、一軍帯同

 

「ふたりの夏物語」がヒットした1985年。プロのレベルの高さに自信をなくし、人知れず寮の部屋で泣き濡れる若者がいた。中村武志。京都・花園高校からドラフト1位指名でドラゴンズに入団するも、この年の一軍出場はなし。さらに2年続けて未出場に終わった1986年の秋、新任監督の星野仙一に出会って人生が変わった。

殴る、蹴るは当たり前。「元々イケメンだったのが星野監督に殴られすぎてこんな顔になった」というのが鉄板ギャグになるくらい、毎日壮絶なしごきを受け続けていたと、本人も含め当時の関係者が口を揃えて証言する。その様子はおそらく洒落たシティポップとは正反対の汗と泥(と血)にまみれた演歌的なものだったに違いない。

しごきに耐えた甲斐があったとは時節柄言いにくいのだが、結果として中村は木俣達彦以来となる正捕手の座をつかんだ。それが1988年の出来事。そこから31年間、ドラゴンズには生え抜きの正捕手が誕生していない(もちろん中村と入れ替わりで谷繁元信が入団し、つい4年前まで現役としてマスクを被っていたのが直接の原因ではあるのだが)。ファンにとって生え抜き正捕手の誕生は長年の悲願なのである。

そんな中で去る25日、中日スポーツが一面で石橋康太の一軍合流を報じた。あくまで一軍の休養期間のお試し練習参加くらいのニュアンスかと思いきや、与田監督が「一軍デビューもそう遠くない」と起用を示唆するなど、にわかに注目が集まっている。もし高卒捕手が一軍出場となればドラフト制後では球団初。それ以前となると1952年の河合保彦まで遡る、まさに異例の大抜擢だ。

今どきの若者に似つかわしくない凛々しい顔つきと、たくましい肉体は早くも貫禄を感じさせる。波留コーチからはその風貌からだろうか、「昭和ボーイ」と呼ばれているそうだ。昭和といっても乾いたシティポップではなく、演歌のほうの昭和。昔も今も、やはり捕手には泥臭さが似合う。